はなちゃんのみそ汁 番外篇

亡き妻のブログ「早寝早起き玄米生活」アーカイブから

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音楽

娘を思い「がん検査」に向き合う

100万回生きたねこ 千恵は絵本が好きだった。 2000年7月、千恵が乳がんの手術(左乳房全摘出)をするかどうか迷っていたとき、勤めていた小学校の同僚が、絵本「100万回生きたねこ」(講談社)を病室に持ってきてくれた。 絵本「100万回生きたねこ」を読む千…

人生最後の「いのちのうた」

いいことがあるといいね〜君にも僕にも♪ 亡き妻千恵の追悼コンサート「いのちのうた」。 ロック歌手の三宅伸治さんをはじめ、親しくさせてもらっているミュージシャンたちの協力で、今年も開催が決まった。 2022年12月3日。福岡市・親不孝通りのブードゥーラ…

うれしいメールとロックな夜

始動の秋、栗の渋皮煮をつまみながら 久しぶりに、対面で語り続けた1日だった。 昼過ぎ、福岡県内の中学校で講演をした。対象は、中学2年の生徒たち。全国の小中学校で広がる食育活動「弁当の日」の取り組みを紹介しながら、妻亡き後、娘と暮らした14年間を…

「パパの人生、ツイていた」

女子大生の名は、松永千恵 1998年の初夏。 僕は34歳。西日本新聞宗像支局の記者として働いていた。 初めての支局勤務にようやく慣れてきた頃だった。 ある日、珍しく、若い女性が支局にやってきた。 大学院声楽科コンサートの取材依頼だった。 その女子大生…

やさしいは、かっこいい。

ふぞろいのロウソクたち 今朝、起きたら、紙に包まれたロウソクが居間のテーブルに置いてあった。 昨夜、音楽仲間たちがお祝いしてくれたバースデーケーキのロウソクを僕が持ち帰ったのだ。 よく見ると、色は同じだが、形が微妙に違う。 店のオーナーとの雑…

いのちの島

沖縄で音合わせ 沖縄から戻ってきた妻と娘。 旅の目的は、「いのちのうた」でユニットを組むhanautaとの音合わせだった。 この時、西日本新聞社のカメラマンも取材を兼ねて沖縄に同行。 妻の闘病は、その後、六本松さくら(ブログのハンドルネーム)の仮名で…

ARBと「英ちゃんうどん」

「悲しき3号線」 高校時代、車で事故を起こし、剣道部をクビになった。 目指していた「玉竜旗全国高校剣道大会」には出場できなくなった。 小4から続けていた剣道が、青春のすべてだった。 生きる目的がなくなるほどの喪失感だった。 真夜中に、仲間たちと…

真顔の「まつがい」は笑いを誘う

いつか、リベンジを 「いのちのうた」でコヤナギシンジさんの「パパのうた」を歌った。 高校の同級生、栗原靖史にギターの伴奏を頼んだ。 心を込めて歌ったが、緊張のあまり、出だしで歌詞を間違った。 「いのちのうた」で「パパのうた」を歌う(2021年11月2…

のんびり、ゆっくり、マイペース

娘のダンス、妻のダンス 娘は、いつもマイペース。 家ではのんびり。 語りもゆっくり。 食事は「まだ、食っとったんかい!」と言いたくなるほど遅い。 驚いたのは、アルバイト先の飲食店では、きびきび動いていること。 やればできるじゃん、と思った。 妻の…

亡き妻が遺してくれた居場所

音楽を通して故人を偲ぶ 娘に歌う姿を見せておきたかったのだろう。 闘病中の千恵は歌うことを決意した。 2007年10月20日、「いのちのうた」。 今も年に一度、福岡市・親不孝通りのライブハウスで開催している音楽イベントだ。 2006年1月、骨肉腫で亡くなっ…

妻と娘を支えてくれた友人たち

彼女の顔を思い浮かべ 昨日、高校時代の友人と遊びに出かけていた娘から、うれしいメッセージがLINEで届いた。 その友人が、僕のブログを毎日読んでくれているというのだ。 先日投稿した「そこにいるだけでいい」(8/3)を読み、「めっちゃ泣いた」そうだ。 …

21回目の結婚記念日

心地よい二日酔い 昨夜は、福岡市のビルの屋上で暑気払い。 妻の追悼コンサート「いのちのうた」で、お世話になっている音楽仲間たちに誘われた。 僕なんかが「仲間」と言っては、厚かましいかもしれない。 知る人ぞ知るロック界のレジェンドたちである。 飲…

「生きていれば、前に進める」

あるプロボクサーとの出会い 元プロボクサー坂本博之さんをご存知だろうか。 福岡県川崎町生まれ。 太い骨格から放たれるパワーのあるパンチで「平成のKOキング」と呼ばれた。 坂本博之さん(2006年10月19日) 物心ついたころには両親が離婚。 預けられた親…

24時間テレビとトイレの神様

アイドルと歌う娘 武道の聖地、日本武道館。 剣道をやり始めた小学4年の頃から、ずっと憧れていた。 いつかはここで試合をしたい、と。 だが、その夢を果たせぬまま、 2000年10月の九州実業団剣道大会を最後に37歳で現役引退。 小学6年の娘は、そこがどこな…

娘の目に焼き付けたかった「自分が歌う姿」

「いのちのうた」に向けて練習再開 2007年春、闘病中の千恵が「私、歌いたい」と言った。 「食」と同じくらい大切にした「音楽」。 千恵は、自分が舞台で歌う姿を娘の目に焼き付けておきたかったのだ。 僕は、会場を押さえた。 第2回「いのちのうた」(2007…

ミッちゃんからの贈り物(昨日の続き)

お笑いで免疫力アップ 昨日の続き。 千恵がパーカーを着てやってみたかったこと。 それは‥ 目マン(めまん) 清水ミチコさんが発表したパフォーマンス、というか瞬間芸のようなもの。 以下のような手順で、誰でもできる。 パーカーを着る ファスナーを閉じ、…

いとしのミッちゃん

スウェットのパーカー めったにモノを欲しがらない千恵が、すごく欲しがっていたモノがあった。 スウェットのパーカー(フード付きトレーナー)。 わかる人には、わかる。 ヒントはこの人(右から2人目)。 いのちのうたin熊本(2019年12月29日) 本日紹介す…

ないものは作ればいい

ママが伝えようとした生き方 ※「はなちゃんのみそ汁 青春篇」から抜粋。 パパは、2020年3月末で32年間勤めた西日本新聞社を早期退職しました。 その直後、新型コロナによる緊急事態宣言が発令され、私たちは自宅での自粛生活を余儀なくされました。 収入が減…

天国に届け 癒やしの音色

ウクレレ、はじめました〜♪ 亡き妻千恵に音楽の楽しさを教わった。 音楽に無縁だった僕が、ギターを弾き、ドラムを叩き、最近では人前でサックスを吹いている。めちゃくちゃ下手だが、めちゃくちゃ楽しい。 そして、もうひとつ、楽器が加わった。 昨年、ギタ…

妻の威圧感とぱっつん娘の成長

幸せの連鎖 相変わらず、「プータローのプーさん」だが、ここ数日は忙しい日々が続いている。 亡き妻千恵の遺品整理、ロックミュージシャンたちのライブ撮影、そして昨日は長野県上田市で、僕がプロデューサーを務めたドキュメンタリー映画「いただきます み…

恋愛と書く作業

アクセス数、もうすぐ2万に 妻の過去ブログを引用した「番外篇」。 3月18日に、ふと思いついて始め、きょうで56日目となった。 今のところ、1日にも休まずに、毎朝更新中。 アクセス数は、もうすぐ2万。 このブログが社会に何らかの貢献をしているとはとても…

妻は声楽家、夫はロックンローラー

俺はミュージシャンだ! 声楽家の千恵と結婚し、僕は音楽にはまった。 音楽イベント「いのちのうた」(千恵の追悼コンサート)では、サックスでロックを演奏。聴くことは好きだったが、まさか自分がステージに立つとは夢にも思ってなかった。 コンサートでは…

君は、もうひとり産むつもりだったんだね

見えない力が働いていた 2007年4月4日のブログ「春日助産院」の冒頭で、千恵は2人の女性を紹介している。 ひとりは沖縄の歌手、小山良子さん。 僕たち家族が始めた音楽イベント「いのちのうた」の名付け親で、歌うことを躊躇していた千恵の背中を押し…

歌うことは生きること

娘の度胸は母の遺伝 昨年11月、娘と沖縄県宮古島に行った。 目的は、島のライブハウス「GOOD LUCK」で開かれたコンサート。 ここで、娘は予定してなかった出演のチャンスをいただいた。 ライブハウスの計らいで、娘は、ウルフルケイスケさんのギター演奏で…

心に残る妻の三線

何かが足りないバーベキュー 桜が咲き始める季節が訪れると、わが家のバルコニーは毎週、バーベキューで賑わう。 気の合う仲間が集まり、炭火を囲む。楽しい。でも、何かが足りない。 千恵が弾く三線の音色と歌が聴けないからだ。 バーベキューの後半、千恵…

戦友の旅立ち

大切な人を亡くした後、残された者はどう生きるか 長く生きれば、届く訃報も多くなる。 毎年のように大切な人を亡くす。 その都度、悲しみとどう向き合えばいいのか、悩み、苦しむ。 ただ、心がけていることがある。 シーナ&ロケッツの鮎川誠さんから、いた…