亡き妻のブログ引っ越しへ
千恵が他界して、もうすぐ14年。
死別と喪失感からの再生を綴った「はなちゃんのみそ汁 青春篇」を出版しました。
※2022年2月20日第1刷発行(娘の19歳誕生日)
テーマは「グリーフケア」。
はなと僕の《心の往復書簡》です。
執筆の参考にしたのは、千恵が生前書いていたブログ「早寝早起き玄米生活」です。
彼女が他界した後、僕がブログを引き継ぎましたが
手つかずの期間もありました。
あれから随分と時が流れました。
ブログの名義が千恵のままだったので
運営会社の楽天に名義変更の可否について問い合わせたところ
「変更はできない」との回答。
それならばと、自分で新しいブログを立ち上げ、
心機一転、引っ越すことにしました。
ブログをまとめて一括で引っ越すのではなく、
少しずつ、少しずつ。
千恵が何を考えていたのか。
誰にどんなメッセージを伝えようとしていたのか。
彼女の日記に、毎日ゆっくりと目を通しながら
もう一度、家族の歴史を見つめ直し
未来を考える機会にしたいと思います。
きっと、こうした作業も、僕にとってはレジリエンスにつながるはず。
まだ、千恵のブログを読めないままでいる娘にも読んでほしい。
千恵の過去記事に僕のコメントを挿入しながら紹介するほか、「はなみそ青春篇」で盛り込めなかった話や忘れることのできない人たちとのエピソードなども織り交ぜたいと思います。
第1回目は、千恵が2006年12月9日に初めて投稿した「がんとはげビーム!」です。
また、はげた。
つるつるにはげてしまった。
人生二度目のはげ体験である。
今、家の流行語は、「はげビーム!」だ。
ビームできる相手は、家族限定だけど。
流行語大賞、いただき。
全身で拒否していたのに。
最終的に、断る勇気をもてなかった自分がはがゆい。
何を断れなかったかというと、「抗がん剤」である。
今、私が抱えているがんは、両肺と肝臓に星の数ほど。
肺のリンパ、それから骨に数箇所。正確に数にすると、
どれだけあるんだっていうくらい。
でも、「おっ」と驚くくらいがんを抱えている割には、とっても元気である。
だから、状況だけを伝え、その後に私の顔を見た人たちは、本当に驚く。
入院してて、管にたくさん繋がれて、痩せてて、元気がなくて…、と、
普通の人なら、大体そういう想像を膨らませているらしい。
中には、恐る恐る顔を見る人なんかもいたりする。
で、私の顔をまじまじと見て、拍子抜けしている。
がん。
しかも、全身に転移したがんだ。
普通、人は、再発転移したがんは治らないと決め付けているらしい。
でも、私はそうは思わない。
がんも、風邪や他の病と同じように、治るものであると思っている。
誰が治らないと決めたのだろうか。
それは、人間が決めたこと。
強い強い思い込みだ。
がんは治る。
必ず。
これから数カ月かけて、いや、数年かかるかもしれないが、私はがんを治す。
今は、抗がん剤を使用しているけれど。
同時に、免疫治療を続けている。
玄米と、正しい心と、生活で。
これからのがん治療は、早寝、早起き、玄米ご飯から。
ここから、全てが始まる。
誰が何と言おうと。
文句がある人には、容赦なく。
「はげビーーーム!」