はなちゃんのみそ汁 番外篇

亡き妻のブログ「早寝早起き玄米生活」アーカイブから

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戦友の旅立ち

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大切な人を亡くした後、残された者はどう生きるか

長く生きれば、届く訃報も多くなる。
毎年のように大切な人を亡くす。
その都度、悲しみとどう向き合えばいいのか、悩み、苦しむ。
ただ、心がけていることがある。
シーナ&ロケッツの鮎川誠さんから、いただいた言葉だ。
 
2019年7月に開催した妻の追悼コンサート「いのちのうた」には、
鮎川さんに出演してもらった。
2015年にバンドのボーカルで妻のシーナさんを子宮頸がんで亡くしてた鮎川さんだったが、
悲嘆を表に出すことなく精力的にライブ活動を続けていた。
鮎川さんは、僕より15歳年上だった。
このパワーは一体どこからくるのか。
同じ境遇の夫として、その内実を知りたかった。
 
コンサートの後半、シーナ&ロケッツの代表曲「ユーメイドリーム」を演奏する直前だった。
鮎川さんがこの日初めてシーナさんの死について語り始めた。
悲しみを抱えながらも生きる気力を失わない鮎川さん。
その原動力が何なのか。
鮎川さんらしい飾り気のない久留米弁を聞きながら、僕はそのことに気付かされた。
 
「天国のはなちゃんのお母さんやら、シーナやらが、『はがいか(悔しい)〜』っち言うぐらい、俺たちは楽しまないかん。それが、亡くなった人たちへの最高の贈り物と思うとります」
 
大切な人を亡くした後、残された者はどう生きるか。
鮎川さんのシンプルな語りの中に、その答えが詰まっていた。
 

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2019年7月に福岡市で開催した「いのちのうた」  撮影:chiyori

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「いのちのうた」で演奏する鮎川誠さん(中央)  撮影:chiyori
以下は、2006年12月12日の千恵のブログ。
最後の2行に彼女がブログを書き始めた理由が記されている。
 
戦友の旅立ち(2006年12月12日)
これまでも何度もこういう場面を迎えてきた。
何人もの友を、この病で失った。

そして、また。
ご主人からの電話で、そのことを知った。
33歳。あまりにも早すぎる死だ。

先々週、乳がんをきっかけに仲良くなった同病の友人が、天国へと旅立ったのだ。

メールのやり取りはしていたので、状況はなんとなくわかっていた。
半年ほど前から、ほとんど食事ができない状態になっていた。
一月ほど前に「抗がん剤ができなくなったので、在宅の点滴に切り替えて治療してます」との報告も受けていた。

でも、こんなにも旅立ちが早いなんて。

子どもが欲しいと、不妊治療を続けていた。
子どもは授からずに、数年後に乳がんになった。
再発・転移を繰り返し、子どものことをすっぱりとあきらめ、トイ・プードル
わが息子のように可愛がっていた。

ご主人は電話口で「優しい妻でした」と声を詰まらせ泣いていた。
プードル君は、「妻の祭壇を破壊しそうな勢いで暴れまわってます」とのこと。
プードル君が、ご主人の希望になればいいな、と思う。

こんな時、人間ができることは限られている。
友とご主人のために、祈ることしかできないのだ。

私が必ず元気になって、亡くなった友の分までしっかりと生きること。
そして、今も苦しんでいるがんの患者さんの希望になればいいなと思う。