はなちゃんのみそ汁 番外篇

亡き妻のブログ「早寝早起き玄米生活」アーカイブから

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心に残る妻の三線

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何かが足りないバーベキュー

桜が咲き始める季節が訪れると、わが家のバルコニーは毎週、バーベキューで賑わう。

気の合う仲間が集まり、炭火を囲む。楽しい。でも、何かが足りない。

千恵が弾く三線の音色と歌が聴けないからだ。

バーベキューの後半、千恵が三線を持ち出し、2、3曲歌うのが恒例だった。

 

昨年11月、娘と南の島に飛んだ。目的地は宮古島

夜、三線島唄ライブが聴ける居酒屋「和おん」に娘を連れて行った。

ステージでは、店のオーナー夫婦が島唄を披露。

童神、三線の花、島人ぬ宝、十九の春‥。18歳の娘には馴染みのない古い曲ばかりだ。

「楽しんでくれているかな」。僕はちょっと心配になって娘の顔をのぞき込んだ。

驚いた。娘は演奏に合わせて歌詞を口ずさんでいた。

 

思えば、千恵が三線を始めたのは、娘が2歳のころ。

オーナー夫婦が演奏する曲は、千恵が練習していた曲ばかりだった。

娘は、三線を弾く千恵のそばで、いつもカスタネットを叩いていた。

 

4月も毎週日曜の午後は娘とバーベキューの予定。

ケースにしまい込んだままの三線

へたっぴだけど、久しぶりに弾いてみようか。

2006年1月、hanautaの2人と三線を演奏する千恵(右)

知人宅で三線を演奏する千恵

千恵は三線と出合ったことがきっかけで、自分のルーツが奄美大島であることを知った。

家族3人で、いつか奄美に行こうと約束していたが、結局、行けずじまいだった。

以下、千恵のブログ朝崎郁恵にはまる」(2006年12月26日)

 

奄美生まれの親友が、先週、朝崎郁恵さんのCDをプレゼントしてくれた。

以来、クリスマスソングはそっちのけで、朝に夕に聴いている。心地よい声とピアノ伴奏。

年はいくつなんだろう。けっこうなお年だとは思うんだけど。元ちとせよりも随分前から活動していたのに、名前が知られてきたのは最近のこと。

去年、三線を始めてからあきらかになったことだけど、私の曾おじいちゃんは奄美の人だった。墓も奄美にある。どうりで島唄がしっくりくるわけだ。

 

朝崎さんは、奄美島唄の第一人者。

島唄独特の歌い方は真似できないけれど。

これからしばらくは、朝崎モードになりそうな予感。

必ず治して、奄美に墓参りに行くつもり。