車の中で泣いた
九州がんセンターで「あと3カ月で寝たきりになる」と診察されたとき、駐車場に止めた車の中で、僕たちは今後の治療について話し合った。
僕は、あのとき確かに「主治医の助言の通り、やってみようよ」と言った。
千恵は泣いた。
千恵は、未来を恐れたり、死ぬことを怖がって泣いたりしたことは1度もなかった。
その千恵が泣いた。
抗がん剤だけは避けられることなら避けたかったのだと思う。
経験した人にしか分からない治療の苦しさ。
本当に嫌だったんだろうな。
選択は正しかったのだろうか。
車の中で泣いた千恵のことを思い出すと、苦しくなる。
以下、千恵のブログ「本当の強さ」(2007年1月26日)
今日、3カ月ぶりに受けた検査の結果が出た。
肝臓は、4センチ大の腫瘍が2センチに。肺は、2センチ強の腫瘍がほぼ異形細胞化していた。骨はほぼ現状維持。
とても喜ばしいことなのに、全然心が晴れない。
ぶすぶすとくすぶっているわけは、わかっている。
この4カ月。食事、気功、酵素、酵素風呂、温熱治療と必死にやってきた。
けれど、病院でそんなことを言っても、通用しないのだ。
腫瘍マーカーが下がってきているのも、肝機能が正常値に戻ったのも、画像でくっきりと結果が出たのも、全ては抗がん剤の効果だけだと思われている。今回こうして結果が出たからには、私も、抗がん剤の効果を受け入れるしかない。
主治医は、「今回これだけ効いたのだから、これから更に4クール続けたらもっと良くなる」と。「若いから、副作用にも耐えられる間はやったほうがいい」と。
旦那もそれに賛同している。
6年前、術後の抗がん剤で廃人のようになり、死ぬ目にあった私は、「今度抗がん剤をしなさいと言われたら、 死んだほうがまし」と本気で思っていた。
その時と今の違いは、結婚して、子どもがいるということ。
もし、まだ独身だったら、絶対に拒否するだろう。
でも、大の大人で、1人で生きていける夫はともかく、子どもは別だ。
4歳の彼女が自立できるまで、私はどんな形であれ、生きていなくてはいけない。
全身の毛がなくなり、体や手足はむくみ、顔もむくむ。
まつげや眉毛がなくなった顔は、とても醜い。体重は増える。
いくら病気が良くなるとはいえ、女性である限り、これは耐えがたい屈辱。
免疫も下がる。外に出る気力も奪われる。
神様から、娘の命と自分の命と両てんびんにかけられて、「さて、どっち?」と尋ねられているみたいな気分。娘がもちろん大事なんだけど、その娘を守るためには、自分の命を守ることが先決。
母親がいなくなった小さな子どもの将来は、やはり、気にかかる。
こうして、年に数回、究極の選択を目の前に突きつけられながらも、前向きに治療に取り組むには、もう少し時間がかかりそうだ。