千恵がブログを書いた理由
突然だった。
2006年12月。千恵がブログを書く、と言い始めた。
タイトルは「早寝早起き玄米生活〜がんとムスメと、時々、旦那」。ハンドルネームは「六本松さくら」。「六本松」は福岡市の自宅近くの地下鉄駅名。隣の駅が桜坂だから、名は「さくら」。いい加減である(笑)
20代で乳がんの告知を受けたばかりのころの千恵は、自分の病気のことを他人に話したがらなかった。ところが、闘病の過程で、千恵は鮮やかに生まれ変わった。
過去を悔やまず、未来を恐れず、今生きることに全力を傾けるようになった。
なぜ、がんと家族を主題にブログを書き始めたのか。
伝えたかったのだろうと思う。
「生きる」と「環境」と「食べる」が、密接につながっていることに気づいた。
一人娘のはなには、物質的な豊かさよりも心の豊かさが大切であると教えた。過剰な消費に疑問を投げかけ、便利なものばかりに頼らない暮らしと、強く生きる力を身につけさせようとした。
そのスタートが、「玄米を食べる暮らし」だった。
そういえば、最近、玄米を食ってない。
「早寝早起き」だが、「白米生活」だった。
初心に帰ることは大切。
無農薬の玄米5キロ、グリンコープに注文しておこう。
共感が、人にどれだけの力を与えるか。
3人の女性に感謝を込めた千恵のブログ。
無駄など何もない(2007年2月18日)
私は今、玄米を食べ、生き方を正そうと進んでいる。
そんな中、孤独感は感じたことはないけれど、何だか、ひとりでじたばたしている気がしていた。1人でもがいているというか。わかってもらえないというか。
でも、先週、本当にうれしい出来事があった。
それは、3人の友人の生き方だった。
1人は20代半ば。去年の夏、結婚したばかりの新婚さん。
そんな彼女が、私のブログを読み、無農薬野菜を購入することを決意してくれた。
独身の時から自炊を頑張っている子だったので、きっと、今後はますます腕を上げることだろう。これから子どもを産み育てる人だ。今から食べ物に気をつけて体を作っていけば、きっと元気な赤ちゃんに恵まれることだろう。
もう1人は同級生。同じ病気を抱えている同志でもある。
彼女は、「ゼロから始める玄米生活」という本を読んで玄米に興味を抱き、現在、玄米を食べているという。遠方に住んでおり、なかなか会えない人だけど、頑張ってほしいと心から思った。そして、彼女なら、必ず乗り越えられると思っている。
そして、もう1人も同年代。ひょんなきっかけで友達になった。
彼女も、「ゼロから~」を読み、すぐに土鍋と圧力鍋を購入。ひとり暮らしだけど、ちゃんとお家ご飯を充実させている。すぐに行動に移せる人。尊敬している。
こんな友人の生き方を見て、この人たちの今後の未来は、絶対に開けると思った。
3人とも、一歩を踏み出したのだ。何かと理由をつけては、「できない」と嘆くのではなく、まず行動に移る。たのもしくもあり、見習いたくもある。圧力鍋を買うことから始めてもいい。添加物をちょっとだけ気にするところから始めてもいい。
無農薬野菜と、スーパーの形のそろったニンジンやキュウリの味の違いがわかるようになったら、それもまたいい。特に、違いがわかりやすいのはニンジン。元気な畑で育ったニンジンは、生でかじると本当に甘い。
そうして、私は1人じゃなかったんだと、安心した。
小さな一歩を踏み出すことを、ためらうことなく続けよう。あらためて、そう思った。
日本で認可されている添加物は、350あまり。唯一先進国で、制限が甘い国。それが日本だ。欧米では販売禁止されているマーガリンの規制さえ、ない。
何も気にせずに食品を買っていたら、1年間で、1人当たり4キロほどの添加物を食べている計算になるという。
添加物を完全に避けることは、私だって難しいときがある。
そんなときは、出すのだ。とにかく、出す。悪者が身体に入ったことを後悔するのではなく、悪いものが入った。けれど、それを出すことに命をかける。それでいいのだ。
まずは、排出力トップの玄米を筆頭に、ゴボウ、レンコンなどの根菜類。コンニャク、etc‥。老廃物を出すことは、大事なことだ。
でも。
私は何も、万人に玄米を食べろ。と強要しているわけではない。
人には、キャパシティというものがある。
きっと、玄米が合わない人だっているはずだ。
そんな人は、無理して食べていると、かえって悪い。ストレスもたまる。おいしく食べられなければ、意味がない。
それに玄米は、外側を剥がさない丸ごとの生命体なので、無農薬でなければ、体に害を及ぼす場合もある。 無農薬でなければ、皮を剥いだ分つき米か白米の方が良いのだ。
私も、暑い夏には胸焼けして食べられなくなるときもある。
そんなときは、日替わりで分つき米にしたり、雑穀米にしたりしている。
とにかく。
3人の女性から勇気と元気をいただいた。
ブログを続けていることが、少しは意味があるのかもしれないと思えてきたので、さらに頑張ろう。感謝しつつ。
人生に、無駄など何もない。