はなちゃんのみそ汁 番外篇

亡き妻のブログ「早寝早起き玄米生活」アーカイブから

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エプロンに込めた母の思い

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今死ぬ気はないから、まだ死ぬ準備はしない

わが家には数え切れないほどのエプロンがある。
ほとんどが子ども用。身近な大人たちが、はなのために買ったものだ。エプロンは、千恵が「食べることは生きること」を、はなに伝えようとした象徴でもある。
2007年2月20日の朝。この日は、はなの4回目の誕生日だった。
千恵は、はなに渡す贈り物をパソコンの横に置き、ブログを書いていた。
 
今死ぬ気はないから、まだ死ぬ準備はしない。だけど、時間が許す限り、彼女が運命を切り開く手伝いはできる限りやってあげたいと思う。
子どもは、天からの授かりものだ。いずれ、私の手を離れて、旅に出る。まだ早いけど、4歳になった今年は、料理を少しずつ教えていこうと思う。
 
その夜、僕は部屋の照明を落とし、誕生ケーキのろうそくに火をつけた。
「おめでとう」
はなが火を吹き消すと、千恵がリボンで飾った紙袋をはなに渡した。
中には、ピンク色のエプロンが入っていた。
「とっても、かわいいよ」
エプロンを着たはなは、ポーズをとっておどけて見せた。
翌朝から千恵は、はなと一緒に台所に立った。身長が1メートルに満たないはなには、踏み台が必要だった。
「包丁を持つ反対の手はネコの手だよ」
残された時間が自分にはあまりないことを覚悟していたのだろうか。
千恵は毎日、娘に台所仕事を教えた。
1年が過ぎた。
 
5歳になったから、一昨日から、朝ご飯の支度はムスメに任せることにしました。見ていたら、包丁使いがかなり怖いのですが。声と手を出したいところをぐっと我慢。
 
「パパ、まだ、のぞいちゃダメだよ。おみそ汁作っているから。待っとってね」
はながみそ汁を食卓に運んでくると、僕はひときわ大きな声で「おいしそう~」と驚いてみせた。
千恵は、そんな2人のやりとりを台所から見ながら、噴き出しそうになっていた。
大学生になったはなの背丈は、あの頃の千恵とほぼ同じ。踏み台も必要ない。あのエプロンは、はなの体には小さくて合わなくなったが、千恵から託された教科書であることに、今も変わりはない。

 

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大学生になった娘。京都の金剛寺八坂庚申堂で(2022年4月)

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桜満開、青春満開

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娘が旅行に出かけるとパパは寂しい。いつまでたっても子離れできない(笑)

以下、千恵が娘の4歳の誕生日に書いたブログ。

 

六合目の途中で(2007年2月20日

 

昨日、6クール目の投与を終えた。気分は、まだそう悪くはない。

腫瘍マーカーは先月と同じく正常値にほど近いし、白血球も、まずまずといったところ。励みにはなるけれど、数値だけを見て一喜一憂はしないつもり。長年の学びだ。

6合目まできたから、最後までやりぬくしかない。

いろんなことやっているから、何が効いているかわからない、ということはあるけれど。

マクロビ療法の成果は、ひとまず100日後に出ることになる。

なぜ100日なのか?

3日でリンパ腋が入れ替わり、3カ月で血液が入れ替わり、そうして、3年で体中の細胞が生まれ変わる。

中でも、血液が入れ替わる3カ月間が、第一関門。 

私にとってマクロビは、体質改善の療法だ。

なぜ、がんは何度も何度もやってくるんだろうか、と考えたとき。

以前と同じ生活をしていたのではいけないのだと思った。

体質を変え、考えを変え、生き方を変え、運命を変える。

人間には、宿命と運命というのがある。

宿命は、生まれた環境とか自分の力だけでは変えられないもの。

でも運命は、自分で変えていくことができる。切り開いていくことができるのだ。

 

今日は、娘の誕生日。

私の遺伝子を受け継ぐ生命体が、もうひとつこの世にある不思議。

「子どもはあきらめてください」と言われたのに、治療と再発の合い間に五体満足で生まれてきてくれた。まさに、ミラクル。 

私の強力なサポート隊長でもある。

がんの母親を持ったことは、彼女の宿命。

いずれ、母の病気の遺伝のことなどで苦しむ日がくるかもしれない(実のところ、がんの遺伝に関する医学的な根拠は、はっきりとはしていないのだが)。

でも、がんの母親を持ったことで、彼女の運命はどんどん開けている。

あるところで出会った女性が、私の病のことを知り、娘を見ながら私にこう言った。

「何が幸せかわからんね」

その通りだ。

母親ががんだったおかげで、福岡で倍率ナンバーワンの保育園にありえないスピードで入園することができた。 

母親に付き合わされて、朝から葛入り梅醤油番茶を飲み、玄米を食べ、酵素を飲み、梅干しとたくあんを好み、おやつにいり豆と焼きめざしをかぶりつく。

「夕飯何がいい?」と聞くと、「玄米おにぎりと納豆とお味噌汁♪」と答える3歳児は、世界中探してもそうそういない。 

母親はがんだけど、彼女はこれから人一倍生き抜く力を身につけていくだろう。

 

今死ぬ気はないから、まだ死ぬ準備はしない。

だけど、時間が許す限り、彼女が運命を切り開く手伝いはできる限りやってあげたいと思う。

子どもは、天からの授かりものだ。

いずれ、私の手を離れて、旅に出る。

まだ早いけど、4歳になった今年は、料理を少しずつ教えていこうと思う。

プレゼントは、エプロン。

それから、愛をこめて、ハートのリリオペで囲んだ花のアレンジ。

 

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4歳の誕生日。娘にエプロンと包丁をプレゼントした