食卓を囲めるのは朝だけ
娘は、来年2月20日に20歳になる。
昨年、第一志望の大学に合格し、そこが自宅から徒歩で通える距離にあるので、今は同居しているが、近い将来、たぶん結婚し、家を出る。
そして、親になるだろう。
僕が彼女の親として伝えたいことを伝える時間は、そう多く残されていない。
語り合う時間がもっとほしい。だが、娘は忙しい。
大学の授業に課題、自動車学校、連日夜のアルバイト‥。
親子一緒に食卓を囲めるのは朝だけ。
朝も、最近、別々に食事をする日が増えてきた。
忙しく過ごすのは、考えがあってのこと。
娘の人生だ。否定はしない。覚悟もしていた。
そこで、僕はブログ「はなみそ番外篇」を始めた。
このブログを通じて、亡き妻千恵が娘に「何を遺そうとしたのか」を僕の言葉も添えて、伝えようと思っている。
コミュニケーションの手段がブログというのが、少々味気ないが、時間をつくれないのだから仕方がない。
残すところ、約8カ月。
「子育て最終章」のつもりで臨んでいる。
娘は、ブログの読者登録をしてくれてはいるのだが‥。
先日、娘と参加したワークショップ「大切な人を亡くした後、あなたはどう生きますか」で、3年前に父親を突然亡くしたという男子大学生がこんなことを言っていた。
「父といい関係ではなく、残そうとしてくれたことを受け取れなかった。こちら側に引き継ぐ姿勢や熱意がないと何も受け取れないと気付いた」
彼の表情には、後悔の念が色濃くにじんでいた。
娘は、彼の言葉をどう受け止めたのだろうか。
以下、千恵が15年前につづったブログ。
「集中力」と「メリハリをつけた生き方」について、自戒の念を込めて書いている。
がんは全身に転移し、人生の締め切りを予感していたかもしれない。
当時、娘は4歳。
妻にとっても「子育て最終章」に差し掛かるころ。
その後、成長した娘にも伝えたかったはずだ。
火事があっても・・・(2007年5月27日)

写真と本文はあんまり関係ありません。