はなちゃんのみそ汁 番外篇

亡き妻のブログ「早寝早起き玄米生活」アーカイブから

                                               仕事の依頼・問い合わせ                                      

子育て最終章

1日1クリックでブログランキングに反映されます。
下のボタンをポチッとね。
にほんブログ村 家族ブログ 死別へ


食卓を囲めるのは朝だけ

娘は、来年2月20日に20歳になる。

昨年、第一志望の大学に合格し、そこが自宅から徒歩で通える距離にあるので、今は同居しているが、近い将来、たぶん結婚し、家を出る。

そして、親になるだろう。

僕が彼女の親として伝えたいことを伝える時間は、そう多く残されていない。

語り合う時間がもっとほしい。だが、娘は忙しい。

大学の授業に課題、自動車学校、連日夜のアルバイト‥。

親子一緒に食卓を囲めるのは朝だけ。

朝も、最近、別々に食事をする日が増えてきた。

忙しく過ごすのは、考えがあってのこと。

娘の人生だ。否定はしない。覚悟もしていた。

 

そこで、僕はブログ「はなみそ番外篇」を始めた。

このブログを通じて、亡き妻千恵が娘に「何を遺そうとしたのか」を僕の言葉も添えて、伝えようと思っている。

コミュニケーションの手段がブログというのが、少々味気ないが、時間をつくれないのだから仕方がない。

残すところ、約8カ月。

「子育て最終章」のつもりで臨んでいる。

娘は、ブログの読者登録をしてくれてはいるのだが‥。

 

先日、娘と参加したワークショップ「大切な人を亡くした後、あなたはどう生きますか」で、3年前に父親を突然亡くしたという男子大学生がこんなことを言っていた。

「父といい関係ではなく、残そうとしてくれたことを受け取れなかった。こちら側に引き継ぐ姿勢や熱意がないと何も受け取れないと気付いた」

彼の表情には、後悔の念が色濃くにじんでいた。

娘は、彼の言葉をどう受け止めたのだろうか。

 

朝の食卓。プーさんと語り合う

 

以下、千恵が15年前につづったブログ。

「集中力」と「メリハリをつけた生き方」について、自戒の念を込めて書いている。

がんは全身に転移し、人生の締め切りを予感していたかもしれない。

当時、娘は4歳。

妻にとっても「子育て最終章」に差し掛かるころ。

その後、成長した娘にも伝えたかったはずだ。

 

 

火事があっても・・・(2007年5月27日)

 

ここのところ、昼間に予定を入れすぎていたせいか、春眠暁を・・・のせいか(もう春は過ぎていますね^^;)
 
夜が、そりゃあもう見事に、ぐっすり眠れます。
 
熟睡度は、寝ている間にどこかに行って帰ってきている感覚。
深い、ふか~い眠りです。
 
 
そんな風なので、毎朝目が開いたら、「あ、今日も目が開いた。ありがとうございます」と言うことにしました。
そのままどこかに行ったまま、戻れなくなったら困るからです。
 
 
 
数年前に最初の再発をした際に、免疫治療の先生から言われた言葉を思い出しました。
 
「お風呂に入る時も、ご飯を食べる時も、眠る時も、100%集中してくださいね」
 
 
つまり、何か気になることがあってお風呂に入ってもリラックスできないし、喧嘩をしながらご飯を食べても消化に悪いし、同じく何か考えながら寝たところで、熟睡できなくなる・・・というわけです。
 
 
先生は多分、がん患者に限らず、人間は全てにおいて集中しなければならない、と言いたかったのだと理解しています。
 
 
ほら、受験期や仕事に集中したい時などに、親や友達から遊びや旅行に誘われても(あらゆる誘惑があっても)、「勉強するから行けない。一人で留守番しとくから」とか言いながらも、結局勉強に集中できずに、本を読んだり、映画を見たり、部屋の掃除をしたり、手紙を書いたり、夜更かししたりことが誰しもあるのでは?
 
 
翌朝、「こんなことなら、一緒に遊びに行っておけばよかった」と後悔したこと多々あり。
 
遊ぶ時は遊ぶ。勉強する時は勉強。
生活に、生き方に、メリハリをつけなさい、ということなのでしょう。
 
 
私の現在の熟睡度は、「火事が起こっても幸せに焼け焦げる度」満点で。
 
今日も、全てに集中して一日を過ごせたらいいな。
 
P1000275.jpg

写真と本文はあんまり関係ありません。