しっかり生きろ、俺
亡き妻千恵は、自分の生い立ちなどついて、滅多に話さなかったが、彼女のブログを通して、どのような環境で育ったかが見えてくるときがある。
本日紹介する千恵のブログは、怒りを爆発させた前回の続き。
自分の心と向き合い、自分の考えや言動について省み、書き足したのだろう。
今度は、僕(読み手)が、「しっかり、生きろ」と妻にカツを入れられているような気になる。
思うことありけり(2007年5月28日)
今日怒りをぶつけたかった方は、お友達ではありません。知り合いでもありません。
例えるならば、歩いていたら肩と肩がちょっとぶつかった、スーパーですれ違った。
ネットサーフィンしていたら、たまたま私のブログにぶつかった、そういう方です。
でも、もし、まだここを読んでくださっているならば、私がその方のことを嫌っているとか、怒っているとかいう、単なる好き嫌いというとらえ方ではなく。エールだと思ってほしい。
しっかり地に足をつけて、生きてほしいのです。
今日、野党から追及を受けていた政治家が、自ら命を絶ちました。
死んでも、何も解決しないのに。
自殺は一番罰の多い死に方だと、小さい頃から言われて育ちました。
どんな理由であれ、自ら命を絶ってはいけない、と。
今日亡くなられた政治家の方は、死んだ後も、この世以上に永遠に苦しまれることだと思います。
残された家族や周囲も、苦しみます。
政治家さんの話は、さておき。
もしかしたら、その方は、薬による副作用で、今、マイナス思考しかできなくなっているのかもしれない。
人のことをうらやましがることで、何かを解決しようとされているのかもしれない。
でも経験上、マイナス思考からの解決は、絶対にありませんから。
がんになって、つらいのは、十分にわかります。
がんになっただけでも十分につらいのに、つらいことはその後の方が多いし、つらい時間も長い。
でも、がんは治療の選択肢がたくさんある病です。
これから認可される薬も多々あります。
再発予防をする努力はいくらでもできますし、それは今すぐにでも始めることができます。
そうして、どんなに厳しい状況であろうとも、前向きに治療に取り組み、夢を捨てず、必死にがんばっている方もたくさんいるのです。
治療薬のない難病で苦しんでいる方は、大勢いらっしゃるのですから。
がんは、治癒の可能性がある病です(何をもって治癒というのかというところあたりは、今回はパスです)。
がんになった後、いろんな人の悩みを聞いていたら、私のがん云々の悩みなど「はなくそ」程度でしかないと思えてきます。
どうか、しっかりと、生きてください。
「人間誰だって、先のことはわからへん。
でも、生きてさえいれば、何とかなるんや。
前に進むことができるんやで~」
ジャズシンガーの綾戸智絵さんが、随分前に、コンサートでそう言っていました。
のほほんと生きている私に、カツを入れる意味でも、今日はこんなことを思うことができてよかったのかもしれない。
その方に、感謝しつつ。
でも、もし、目の前にいて、そんなことを聞かされていたならば、きっと、ぐーで殴っていたかもしれない。
東城百合子先生ならば、間違いなく、こう言ってる。
「あらそう、じゃあ、死ねば」と。
怒っているんじゃない。
愛を込めた、カツだ。
五体満足で生まれたんだ。
何が不満なんだ。
目を覚ませ、と。
しっかり、前を向いて、生きろ、私。
しっかり、生きろ。
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亡くなる直前まで、千恵が枕元に置いていた綾戸智恵さんのCD「fifty」。
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