あるプロボクサーとの出会い
元プロボクサー坂本博之さんをご存知だろうか。
福岡県川崎町生まれ。
太い骨格から放たれるパワーのあるパンチで「平成のKOキング」と呼ばれた。
物心ついたころには両親が離婚。
預けられた親類宅では食事することを許されず、川でザリガニなどを食べて飢えをしのいだ。
小学2年のとき、福岡市の児童養護施設「和白青松園」に入園、初めて三食の食事と寝る場所を与えられた。 高校卒業後、東京都内のボクシングジムに入門。過去4度、世界タイトルマッチに挑戦し、いずれも敗れたが、元WBA世界ライト級王者・畑山隆則さんとの試合ではボクシング史上に残る名勝負を演じた。
坂本さんの著書「僕は運命を信じない」(西日本新聞社)の編集に携わったことが縁で、彼との親交が深まった。いじめによる自殺、児童虐待などが相次ぐ中、坂本さんは「どんな環境や境遇に生まれようとも、生きてさえいれば人は前に進むことができる」と語っていた。
2007年、坂本さんはプロボクサーを引退。僕は、同僚の田中耕記者と協賛金を集め、同年7月、福岡市の福岡国際ホールで、坂本さんの引退式を催した。
引退式には、妻千恵と娘のはなも駆けつけてくれた。
坂本さんの生き方に共感した千恵。会わせてよかった。
以下、その日のことをつづった妻のブログ。
白血球、3700!
無事に治療を終えて帰ってきました。好中球も倍近く増加。
ほっとしました。
そんなこんなで免疫力が下がっていたはずの先週。
免疫力を上げるために、とある方に会ってきました。
右の方です。
一番左の方です。
左の方です。
不滅のボクサー坂本博之選手の“ラストファイト”です。
リングは、坂本選手を応援する子どもたちの手作り。
坂本博之選手の入場。
彼のBGMは、いつも、ドヴォルザークの新世界「第4楽章」
さあ、カメラマン(私)の腕の見せどころです。
「さかもとおお~~ひろゆきいいい~~~」
ゴングが鳴り響き、
いよいよ、始まりました。
レフリーです。
相手選手の背中です。
坂本選手の背中です。
ようやく撮れたと思ったら、こんな中途半端なショットです。
カメラマン(私)、撃沈。
ラストファイト後に、坂本さんから花束をいただきました。
坂本さんいわく
「僕のファイト後にもらった花束は、パワーがあるんです。もらった人には、みんな、いいことが起こるというジンクスがあるんです。だから、千恵さんにあげます」
ああ、それなのに。
さかもとせんしゅううううう~~~~~
まともな写真撮れなくて、ごめんなさあああいいいいい~~~
お詫びと言っては何ですが・・・
坂本選手の奥様、涼子さんです。
とってもかわいい方です♪
いつもムスメの子守りをしてくれる女子大生のまいちゃんです♪
かわいいです♪
この日も、ムスメはまいちゃんにべったりぶら下がっておりました。
ピーチピチの女子お二人で許してください。
それから、坂本選手。
もし、ご覧になってくださっているならば、どうか坂本さんのブログとリンクさせてください。
この前、メッセージ送ろうとしたら、どうも外部のブログからは、送れないようになっているようです。
花束のお礼、遅くなってすみませんでした。
免疫力、確実に上がりました。
今後も、多くの人々に夢と希望を与えてください。
「生きていれば、前に進める」
私も、運命を信じない。
打たれても打たれても、必ず、這い上がります。
一家そろって、応援しています。
あの日以来、ムスメのBGMは、言うまでもなくドヴォルザークの新世界「第4楽章」です。
ムスメは「パンチの曲」と言っております(笑)
以後、以前にも増してクラシックを聴かせまくっておりますので。
情操教育に強力なサポートをありがとうございました。
あの日の翌日の夕方のニュースに、ポカーンと口を開けて、最前列でラストファイトを見つめているムスメの姿が長いこと映っていたそうです。
最後の最後に、ムスメをお姫様だっこしていただき、ありがとうございました。
まいちゃんのカメラに入っているはずなので、家宝にしたいと思います。
次回お会いした際は、私もお姫様だっこしてください、とは、口が裂けても言えない。
どちらさまも、うっかりクリック。
いつも、ポチッと、ありがとうございます。
皆様のひと手間に感謝。励みになります!
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これ、めっちゃいいと思う。親子でどうぞ。
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夫婦でどうぞ。旦那のボディーに一発。スカッとしますよ。