「つきさん」の遺言
「元気そうでよかった」
「もっと、落ち込んでいるかと思っていた」
15年前、僕は人前では、悲しみを隠していた。
だから、表面上は、そう見えたかもしれない。
だが、それを見抜いて、酒や食材を持って訪ねて来る仲間たちがいた。
千恵の月命日の11日に、毎月必ず、わが家を訪れる家族もそうだった。
田中朋子さんご夫婦と3人の子どもたち。
朋子さんは、千恵と同じ病気だった。
千恵が他界した数年後、彼女も家族を残して亡くなった。
幼い子どもたちには、料理と家事をしっかりと教え込んでいた。
千恵は朋子さんのことを「つきさん」と呼んだ。
お互いに、幼い子を育てながらの闘病生活。
困ったときは支え合いながら、家族ぐるみの付き合いが続いた。
千恵が亡くなった直後、つきさんからこんなメッセージが届いた。
千恵さんと同じ病、同じ臓器に転移し、同じ年頃の娘を持つ私が、この先家族を残していくなら夫に何を望むか考えてみました。
①子どもにとって唯一の親となる夫の健康と長寿。
②家族が今までどおりの毎日を送ってくれること。
きっと千恵さんも似たようなことを思っているんじゃないかな?
信吾さん、すっごく頑張ってます。
助けが要るときには呼んでください。
走っていきますよ。
「つき」こと田中朋子
「健康に気を付けること」と「今まで通りの暮らし」。
心が通じ合う2人だったからこそ、千恵に代わって、僕に念を押したかったのだろう。
つきさんの遺言。それは、千恵の遺言でもある。
以下、千恵の過去ブログ「がん友からの朗報」。
ここで紹介している「がん友」とは、つきさんのことだ。
文面から伝わってくる前向きな性格、検査結果に一喜一憂しないところなど、2人はとてもよく似ていた。
がん友からの朗報(2007年8月17日)
ここ数日、熱帯夜のため、ムスメが夜中に
「うう~~~ん。うおおおおお~~ん。ばおおおお~~ん」と、うなっているようです。
隣で寝ている旦那が、
「こ、こわいよ」と。
なので、地球に「ごめんなさい」言って、
昨夜は、今年初めてクーラーをつけて寝ました。
もちろん、設定温度は、28度で。
今夜も熱帯夜は続くとのこと。
もし、今夜もクーラーつけてしまったら、
地球よ、ごめんよおおお。
さて、昨日、がん友から一本のメールが来ました。
そのまま添付したいと思います。
今日、検査結果を聞いてきました。
肝臓は、6センチのが2センチ強に、そのほかも全て縮小してました。それでまた3カ月、ナベルビンとハーセプチンを継続することに。
腫瘍がなくなるのが目標なので、今一歩及ばず、残念だという思いがあります。
千恵さんが、ブログに同じような気持ちを綴っていたのを思い出しました。
でも、効いているというのも事実。
これからもしぶとく信じる道を進むのみ。
頑張ろうぜい。
彼女は、私のブログを読み、マクロビオティックを実践している女性です。
今では、レシピも生き方も完全に追い抜かれてしまい、ご主人もお子さんも巻き込んでマクロビ生活満喫中。
ご本人はもちろんですが、ご主人も真面目に実践。とうとうご主人、54キロに。
今、流行の「細身のスーツが入るようになった!」と喜ばれている様子。
私も、腫瘍を完全に消したいという気持ちは、再発した時から持っています。
でも、長年の様々な治療の中で、あせらずに取り組むことが良いということが、少しずつわかってきました。
再発転移がんの治療は、時間がかかればかかるほどきつい。
その間、新たな転移がわかると、気持ちもめげる。
体調に反して、画像の結果がイマイチだと、気力も減退。
でも、焦ると、どこかに無理がきます。
失敗もします。
だから私は、焦りそうになるたびに、ある人の言葉を思い出すのです。
「10年くらいかけてがんになったのやから、治すのにも10年以上はかかるんや。毛嫌いせずに、抗がん剤を使ったってええんよ。体に負担がかからん程度に。使えるうちは、どんな方法を使ってもええ。焦らずゆっくり、やりなさいや」
「焦らず、ゆっくり」
一番難しいことだと感じます。
でも、できないことでもない。
気力と体力と精神力が続く限りは、絶対にあきらめない。
そう、決めたのだ。
免疫力アップな報告をしてくれた「がん友」に感謝しつつ。
あなたは、もう十分頑張っているけど、
一緒に、がんばろうね~。