はなちゃんのみそ汁 番外篇

亡き妻のブログ「早寝早起き玄米生活」アーカイブから

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妻の闘病が新聞連載に

妻千恵が名付けた「ダンディーT」とは、西日本新聞社の僕の同期であり、友人の田中耕記者。2007年10月、彼が妻の新聞連載を書いた。

妻の実名を出さず、ブログのハンドルネーム「六本松さくら」の名で。

 

連載タイトルは「いのちのうた」。

出会いから、乳がん発症、結婚などを経て出産まで。

何度も妻に直接会い、妻のブログに目を通し、しっかり取材をしてくれた。

計8回、読み応え十分の内容だった。

その後に続く新聞記事、ドキュメンタリー番組、出版物、ドラマ、映画など、あらゆる媒体のベースになったのが、この連載だったと思う。

沖縄県恩納村のビーチを歩く千恵とはな。写真は新聞連載に使用された(2007年9月8日)

闘病の日々、千恵はどんなことが身の回りに起こり、何を感じたかをブログに綴った。

時には、現代医療への要望や疑問も書いた。

がんは一様ではなく、闘病を経験している人でも、理解し難いことがある。

それでも、丁寧に「私の場合」を伝え続けた。

顔が見えないブログの世界。

誹謗中傷も覚悟し、「誰かの希望になること」を優先した。

 

 

ダンディーTさんの質問(2007年9月21日)

 

名前は書けないので、「ダンディーT」と、勝手にあだ名をつけさせていただきました。

そのダンディーTさん(新聞記者)から、最近いろんな質問を受けています。
 
 
その様子は、10月に入ったらすぐに、別の形で皆様にお知らせできると思うので、お待ちくださいね。
 
 
昨日のダンディーTさんの質問の中に、こういうのがありました。
 
 
「どうして、事細かに自分の病歴などを書いて、ブログをはじめようと思ったのか?」
 
 
ですよね。
 
言いたくないことをあえて不特定多数の人に知らせなくてもいいのではないか?・・・同感。
 
 
 
ネットの世界は、基本的に顔が見えない。
 
 
励まされたり、意外なところから繋がりを感じたり。
良い面も多々ありますが、怖い部分もた~くさんあります。
 
 
誹謗中傷を受けることだって、
覚悟しておかなければいけないでしょう。
 
 
でも、病気のことを隠さずにブログを書き始めた最大の理由は、
やはり、「後進に光を」の気持ち一つだったのです。
 
 
私が乳がんの告知を25歳で受けた時、一番知りたかったことは、同じ年代の人が、どこでどんな治療を受けているのかということでした。
 
 
当時の主治医にも、懇願したものです。
 
 
「院内に、同年代で私のような経過をたどった人を紹介していただけないでしょうか?」「会って直接お話を聞きたいのです」と。
 
藁にもすがる気持ちで聞きましたが、主治医の回答は、「それは、教えられん。守秘義務があるから」の一点張りでした。
 
 
欧米では、乳腺外科の診察室の隣室に、ボランティアの乳がん患者が待機しています。
 
 
そして、告知を受けて、涙で立ち上がることができない新たな乳がん患者をカウンセリングし、励ますのです。それが、標準になりつつあります。
 
 
中には「そんなもの、必要ない」と思う乳がん患者さんもいらっしゃるでしょう。
現実的ではないのかもしれません。
 
 
でも、当時の私には、それが一番の望みであり、希望だったのです。
「私だけじゃないんだ。告知を受け、手術や抗がん剤をしても、こんなに元気になれるんだ」と、その人物を目の前にして思うことで、告知後の苦しみがどれだけ癒されるか。
 
 
今でこそ、乳腺外科の待合室には30代前後の患者さんがけっこういますが、7年前はほんの一握り。
 
情報は、本当に少なかったんです。
 
情報が少ないから、不安ばかりが大きくなる。
悪循環でした。
 
自分だけが取り残されてしまったような疎外感を抱き、その暗闇から抜け出すことができずにいました。
 
手術後、抗がん剤治療を始めて、脱毛と嘔吐で廃人のようになり、家に引きこもり。
うつうつしていた私を見るに見かねて、ある日、旦那がパソコンを買ってきてくれました。
 
 
そこで見たものは、希望の光でした。
 
 
同年代で乳がんになっている人が、全国各地に少なからずいる。
それがわかったときの気持ちといったら。
 
一人取り残された気分が、ふうっと軽くなったものです。
 
 
その後、彼女たちと実際にメールをやり取りするようになり、今でも付き合いがある友達がいます。
 
 
中には、思い半ばで亡くなった友人もたくさんいました。
 
一月前に電話で話したばかりだったのに。
次に電話した時にはご主人が出られて、「先週亡くなりました」と聞かされたり。
がん友伝えで、亡くなったことを聞いたり。
 
ショックは大きかったですし、
良い情報ばかりではなかったことも、確かです。
 
 
次々に亡くなっていく友人を見て、自分が、彼女たちと同じ厳しい「いばらの道」を歩んでいることも、同時に知ったのですから。
 
 
いつ、だれが、どこで死ぬか。誰にもわからない。
 
 
誰もが、がんである私の方が先に死ぬと思っているでしょう。
 
 
でも、それは、わからない。
 
神様にしか、わからない。
 
 
支えてくれている旦那や、ムスメに、明日、何が起こるかなんて誰にもわからないのです。
 
 
長嶋茂雄さんの件だって、そう。
 
 
誰が、長嶋さんを支えてこられた奥様が先に亡くなられると思ったでしょうか。
 
 
だから、今日も、旦那とムスメが無事に過ごせることを心から祈りつつ。
私を支えてくれる全ての人の幸せと無事を祈りつつ。
 
 
ダンディーTの話を、右から左へ受け流す~~~~こともなく。
 
 
 
ただ、さらさらと前進しながら生きていくのみ、です。
 
 
このブログが、誰かの希望になっているなら、私は幸せです。
 
 
 

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