そこに信頼関係があるかどうか
がん患者の出産は転移再発のリスクがあり、千恵は産むことをためらっていた。
そのとき、父親は千恵にこう言った。
「お前は死んでもよかけん、死ぬ気で産め」
一見、無神経で乱暴。相手の気持ちを考えずに言い放っているようにも聞こえるが、実はそうじゃない。短い言葉の中には深い意味がある。義父は、生まれてくる子が、病気の千恵を助けてくれると信じていたのだ。
実際、千恵は娘を産んだ後、ブログに「サポーターの力は最強。私の人生の目的は、これだったのかな」と綴っている。
僕もどうやら、「無神経な男」と思われている節があるようだ。
妻に「服のセンスがない」と笑ったり、脱毛した頭を見て「らっきょ」と呼んだりした覚えがある。妻もブログを“武器”に反撃する。
だが、これは、どちらも悪口ではない。
第三者が見聞きすれば、「まあ、なんてひどいことを」となってしまうのだろうが、お互いにわかり合っているから、傷ついたりしない。むしろ、そんなやりとりで、元気をもらったりすることだってある。
記者時代、上司に「無理です」と言うことはできなかった。
無理と思っていても、「そこからが本当の仕事」ということを先輩方に教わった。
だから、僕も後輩には「あきらめるな」と言い続けた。
この人は、なぜ、厳しいことを言うのだろうか。きっと、これには深い意味がある。
後輩が、そんなふうに受け止めてくれれば、成功。
信頼関係があれば、厳しい言葉も前向きにとらえてくれる。
信頼関係がなければ、「人の気持ちを考えないひどいやつだ」となる。
会社など組織の中だけでなく、日常の暮らしにも置き換えることができる。
親子、夫婦、友人・・・。
昨夜から、そんなことをつらつらと考えていたら朝になってしまった。
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