見えない力が働いていた
2007年4月4日のブログ「春日助産院」の冒頭で、千恵は2人の女性を紹介している。
ひとりは沖縄の歌手、小山良子さん。
僕たち家族が始めた音楽イベント「いのちのうた」の名付け親で、歌うことを躊躇していた千恵の背中を押してくれた恩人でもある。
もうひとりが、彫刻家の知足美加子さん。
千恵は知足さんと会ったことがない。千恵が一方的に名前を知っているだけだった。
ところが、千恵が他界した後、エネルギーの自給自足をテーマにした講演会がきっかけで、僕は知足さんと知り合うことになる。そして、2009年10月、知足さんは、千恵の一周忌の追悼コンサートとして開催した「いのちのうた」(福岡市・住吉神社能楽殿)のスタッフとして、運営に力を貸してくれた。
千恵がブログで紹介していた彫刻家と知足さんが、僕の中で一致したのは、ずっと後になってからだ。
見えない力が働いていたのか。
千恵が、春日助産院を訪問してなければ、出会うことはなかったのかもしれない。
春日助産院(2007年4月4日)
先日コンサートを聴きに行くためにお邪魔した、春日助産院。
なぜか予定より、1時間半も早く着いてしまった。
雨が降り出したので、娘と二人で、中で待たせてもらうことにしました。
入り口入ってすぐ右手には、大好きな沖縄の歌手、小山良子さんをモデルにしたという、知足(ともたり)美加子さんの木彫りの作品がありました。
ずっと前からこの木彫りのお人形に会いたかったので、娘と二人で、手垢がつくぐらいなでなでしていました。
「上でお茶でもどうぞ」と、にこやかに声をかけてくださいました。
断る理由など、ありませんよね
いそいそと二階へ。
そこは、病院とは思えない、素敵な空間でした。
智子先生が飾った、菊桃。
全てが木の温かな造り。
台所に立つ、智子先生。
手前は、遠慮なく葡萄パンを食べる、わが娘。
みんなの顔が見渡せる広いテーブルとオープンな台所。
また、通路を通ったその奥には、和室が二間。
大き目の浴槽がひとつ。
ここには、金属音、匂いのするものや、冷たい分娩台はありません。
妊婦さんたちは、陣痛の痛みとともに訪れる赤ちゃんの誕生を、自分の好きな場所で自由に行います。
これが分娩室。
ほのかな明かりで、私もゆったりとした気分になってきました。
私たちが着く1時間ほど前に、水中分娩で、またひとつの命が誕生していました。
何とも言えない、幸せな気持ちになります。
そんな話を聞いていると・・・
何やらおいしそうなにおいがします。
智子先生が、食事の準備をしているようす。
他に、手伝いの人が見当たりません。
「智子先生、もしかして、入院中の妊婦さんたちの食事の準備もするんですか?」と尋ねると。
「そうよ」と、さらりと言われました。
「助産師の仕事ってね、8割は、ハウスキーピングみたいなものね。そうして、日々のいとなみの合間に、お産のお手伝いをするだけなのよ」
感激しました。
わたし、全身にがんが散ってしまった再発がん患者ですけれど。
実は、第二子の出産を、あきらめたわけではありません。
今は、自分の身体を元に戻す作業に追われていますが。
40歳までは、望みを捨てないつもりです。
こうして、今回、春日助産院を訪れて、もし産むことができるのならば、ここで産んでみたいとの思いを強くしました。
そんなことを考えていると。
智子先生が、「スープ飲みませんか?」と。
これも、断る理由がありません。
ちゃっかり持参した玄米おにぎりと、タケノコとつわぶきの煮物を取り出し、スープまでつけてもらって、完璧なランチタイムとなりました。
スープはトマト仕立て。豆とブロッコリーと、智子先生が大好きだという香草類がたっぷり入った滋味風味のおいしい一品でした。
しかも、ウドとエリンギのハーブグリルまでつけていただきました。
これも、遠慮なくいただいた次第です。
その日の妊婦さんの食事は、体調に合わせて、このスープに葡萄パンやクラッカーがついたり、玄米おにぎりがついたりしていました。
こんな食事だと、おっぱいもつまることなく、おいしいはず。
しばらくここにいるだけで、はるか昔、お母さんから優しく包んでもらっていたことを思い出したというか。
愛情に満ちあふれる空間を堪能して、また元気になりました。