2022-09-01から1ヶ月間の記事一覧
10年先を走る料理家 千恵は、念願かなって、ホールフードの提唱者、タカコ ナカムラさんに会えた。 本当にうれしそうだった。 導いてくれたのは、当時、書籍の編集で僕と付き合いのあった「大地といのちの会」の吉田俊道さん。千恵の生まれ故郷長崎県大村市…
人生の節目に家族写真を 最高にうれしくて、楽しい1日だった。 宮崎市で「うどん茶房ふなや」を営む船ヶ山清史さんのご家族が、僕の実家の若宮写真館(福岡県宮若市福丸178-2)を遠路はるばる訪ねてくれたのだ。 udonsabou-funaya.studio.site 次女の明衣(…
娘の手作り「はなちゃんのみそ」 娘が仕込んだみそを商品化することにした。 「はなちゃんのみそ」。 製造・販売元は、山形県白鷹町の「すずき味噌店」。 https://suzukimisoten.com 店主の鈴木徳則さんとは、妻の千恵が生きていたときからの付き合いだ。 低…
心に根差した「喜びの味」 昨夜、佐賀県唐津市から帰宅すると、娘が台所に立っていた。 「しばらくの間、パパと夕食が食べられないので、今夜、はなが作るね。ゆっくりしてて」 娘は次の日から、夜のアルバイトが4日連続で入っていた。 僕は、冷蔵庫から缶ビ…
妻の闘病が新聞連載に 妻千恵が名付けた「ダンディーT」とは、西日本新聞社の僕の同期であり、友人の田中耕記者。2007年10月、彼が妻の新聞連載を書いた。 妻の実名を出さず、ブログのハンドルネーム「六本松さくら」の名で。 連載タイトルは「いのちのうた…
娘と暮らす父親の特権 妻のブログを読んでいて、もつ鍋が食べたくなった。 わが家の冷凍庫には、グリーンコープ生協で買い置きしていた「国産牛ミックスホルモン」(300グラム)が2袋ある。 娘と2人で600グラムは、ちょっと多い。 「もつ鍋を食べにおいで〜…
元気もらえるコメントが多い中・・・ 手前味噌だが、先月、YouTubeにアップされた日テレNEWS「家族を生きる」の評判がいい。 制作担当者は、10年以上の付き合いになるFBS福岡放送の伊﨑健太郎ディレクター。 現在、このドキュメンタリーのロングバージョンも…
すべては、ここから始まった 「同業他社の枠を越えて付き合ってもらえませんでしょうか」 2009年の春。深夜、1通のメールが届いた。 金子元希さん。朝日新聞西部本社の記者からだった。 出会って3カ月が過ぎた6月14日。 朝日新聞に「小さな手、朝の台所」「…
女子大生の名は、松永千恵 1998年の初夏。 僕は34歳。西日本新聞宗像支局の記者として働いていた。 初めての支局勤務にようやく慣れてきた頃だった。 ある日、珍しく、若い女性が支局にやってきた。 大学院声楽科コンサートの取材依頼だった。 その女子大生…
ホールフードとの出合い 千恵がずっと会いたがっていたタカコナカムラさん。 タカコさんは、台所を通じて持続可能な暮らしを実現させるライフスタイル「ホールフード」の提唱者。 whole-food.jp 亡くなる7カ月前に会うことができた。 わずかな期間だったが、…
待つ時間は、至福の時間 台風14号の影響で外に出ることができなかった19日夜。 娘が夕食を作ってくれた。 パパは、カボス割りの麦焼酎を飲みながら、夕食の出来上がりを待った。 朝食の塩むすびのお礼なのか、台風でアルバイト先が休みになったからなのか。 …
“調味料”は「まな板」 台風14号が福岡上空を通過した9月19日の朝食。 僕は、どうしても、娘に「塩むすび」を食べさせたくなった。 いつもは、ご飯を塩で握り、その中に梅干しを入れたり、海苔を巻いたりするが、 今朝のおむすびの味付けはシンプルに2種類だ…
デパ地下で腹を満たす 千恵は幼い娘とよく、デパ地下の食品売り場をうろうろしていた。 2人のお気に入りは、天神大丸。 買い物に行ったはずだったが、いつも手ぶらで帰ってきた。 娘のお腹はパンパンだった。 いつも、どこでも、食べていた(2007年8月14日)…
「生きた証を残したかった」 妻をがんで亡くされた元読売テレビアナウンサーの清水健さん。 彼と初めて出会ったのは、2017年秋。 文藝春秋が企画した対談だった。 清水さんの妻奈緒さんは2015年、29歳で他界。 そのとき、長男は生後112日だった。 清水さんの…
心と体をととのえる 映画「弁当の日」を完成させた直後、「はなちゃんのみそ汁 青春篇」を一気に書き上げた。 プロモーション活動は、新型コロナに大きな影響を受けた。 自主上映会はキャンセルが相次ぎ、仕事も減り、収入は激減した。 いっそのこと遊んじゃ…
手作りうちわ こんなものを作って、わざわざ届けてくれた家族がいる。 「SHINGO59」。誕生プレゼントのうちわ(2022年9月11日) 富武さん家族。 こういう遊び心は好きだ。 富武ファミリー。左から祥子さん、なっぺ、健一さん(2022年9月11日) 富武健一さん…
初めて歩いた日 ウェイクボード合宿2日目。 娘も大学の友人2人を連れて、芦屋ヨットハーバーに合流した。 波は穏やか。気温も30度を超え、絶好のコンディションだ。 僕が滑った後、娘が海に入った。 プレジャーボートが動き出した。 ロープが、ぴんっと張っ…
戻ってきた体力 先週、台風で中止になったウェイクボード合宿。 このまま夏を終わるわけにはいかなかった。 天候の回復を待ち、昨日、海に向かった。 初日(9/12)の芦屋ヨットハーバーは、絶好のマリンスポーツ日和。 真夏が戻ってきたような暑さだった。 …
おいしい顔ってどんな顔? 昔、そんなCMソングがあった。 1980年代、雪印のネオソフト。 大きなパンにかぶりつく子どもの笑顔がかわいかった。 さて、 今回は、おじさんの「おいしい顔」。 見苦しいので、遠慮なくスルーしてください。 はなパパの「おいしい…
ふぞろいのロウソクたち 今朝、起きたら、紙に包まれたロウソクが居間のテーブルに置いてあった。 昨夜、音楽仲間たちがお祝いしてくれたバースデーケーキのロウソクを僕が持ち帰ったのだ。 よく見ると、色は同じだが、形が微妙に違う。 店のオーナーとの雑…
生前の言葉が本の帯に 千恵はブログで「六本松さくら」のハンドルネームを名乗った。 「六本松」は、自宅近くの地下鉄駅名。 隣の駅が「桜坂」だから、名は「さくら」。 いい加減である。 その「六本松さくら」が、本の帯を書いたことがある。 「いのちをい…
娘、過呼吸で倒れる 「みそ汁が歩きよる」 中学時代、こんな言葉を浴びせられ、部活では、いつも1人で弁当を食べた。 机の中には「死ね」と書かれたメモ紙。 娘は、そのことを隠していたが、12歳の心身は耐えきれなくなっていた。 ある朝、登校中に校門の前…
沖縄で音合わせ 沖縄から戻ってきた妻と娘。 旅の目的は、「いのちのうた」でユニットを組むhanautaとの音合わせだった。 この時、西日本新聞社のカメラマンも取材を兼ねて沖縄に同行。 妻の闘病は、その後、六本松さくら(ブログのハンドルネーム)の仮名で…
最後はサプライズ 台風11号の影響で、1泊2日のウェイクボード合宿が中止になった。 娘が誘った友人は、アルバイトを休んで空けた2日間。 「夏の終わりを別の形で楽しみたいね」 あきらめきれない僕たちは、宿泊する予定だった常福寺(北九州市若松区)に向か…
「誕生日は何が食べたい?」 もうすぐ誕生日(9/11)。 「誰の?」って。パパでござるよ。 「誕生日は何が食べたい?」 先日、娘がこんなことを尋ねてきた。 「何がほしいか」ではなく「何が食べたいか」である。 娘は、僕が一番喜ぶプレゼントが、手料理だ…
「悲しき3号線」 高校時代、車で事故を起こし、剣道部をクビになった。 目指していた「玉竜旗全国高校剣道大会」には出場できなくなった。 小4から続けていた剣道が、青春のすべてだった。 生きる目的がなくなるほどの喪失感だった。 真夜中に、仲間たちと…
六本松の「すし宗」 昨夜は、娘のアルバイト先で食事をした。 福岡市中央区六本松の「すし宗」。 妻が亡くなった後、5歳の娘を連れて、ふらっと入った近所の店。 以来、大将の宗さんとは、ずっと付き合いが続く。 今春、「和食の店で接客を勉強したい」とい…
親ばかをどうか許して 娘の髪型を振り返ってみた。 前髪ぱっつんが好きだった。 ママに前髪を切ってもらって、ぱっつんに(2005年9月ごろ) 長い髪にあこがれた小学1年生(2009年11月23日) 小学4年で三つ編みに(2012年10月14日) 福岡市城南区のヘアーメイ…
いつか、リベンジを 「いのちのうた」でコヤナギシンジさんの「パパのうた」を歌った。 高校の同級生、栗原靖史にギターの伴奏を頼んだ。 心を込めて歌ったが、緊張のあまり、出だしで歌詞を間違った。 「いのちのうた」で「パパのうた」を歌う(2021年11月2…
やさしいは、かっこいい 父一人子一人になった。 クリスマスイブは娘と2人。 僕は寂しさを紛らわそうと、大きなツリーを買い、イルミネーションで部屋中をキラキラに装飾した。 娘はチキンとケーキをお腹いっぱい食べて、 サンタさんからのプレゼントを楽し…