2022-04-01から1ヶ月間の記事一覧
書くことを頭のリハビリに ふと思い立って、新たな場で再開したブログ。 続くだろうかと不安もあったが、 今日で44日連続になる。 旅先でも。 仕事でどんなに夜が遅くなっても。 日記だとすぐに滞ってしまう僕が、ブログを毎日書いている。 奇跡。 昨日は…
俺はミュージシャンだ! 声楽家の千恵と結婚し、僕は音楽にはまった。 千恵の追悼コンサート「いのちのうた」では毎年、サックスでロックンロールを演奏。 ロックを聴くことは好きだったが、まさか自分がステージに立つとは想像もしてなかった。 コンサート…
妻の夢「レシピ本」娘が出版 亡き妻千恵の夢は、料理の本を出版することだった。 その夢は、娘のはなが引き継ぎ、実現させた。本のタイトルは「はなちゃん12歳の台所」。映画「はなちゃんのみそ汁」で千恵役の広末涼子さんが幼い娘に言い聞かせた「ちゃんと…
愛すべきB型 千恵の血液型はB型。 僕はA型。自分で言うのもなんだが、夫婦の相性は良かった。 以下、僕から見た千恵の性格。 ※「B型自分の説明書」より。 話が飛ぶ。 感覚的なことなら、何やっても結構できる。 でもそれ以上は行かないまま飽きる。 考え事中…
見えない力が働いた 亡き妻との思い出の場所には、しばらく足が遠ざかっていた。 思い出すと、つらい。 涙があふれる。 それもまた、「すばらしい悲しみ」であることに気づいたのは、僕の場合、ずいぶん時間が経ってからだった。 昨春、大学生になった娘が「…
マクロビオティックの思想 僕はマクロビオティックを実践しているわけではないが、千恵の影響で、その考え方は少しだけ理解している。 重要なキーワードは3つ。 身土不二 その土地で収穫された食材や旬のものを食べること。地産地消とほぼ同義語だ。 一物全…
あるもので作る。できたものを食べる 毎週末、僕たち家族3人は佐賀の山奥に向かった。 目指す場所は、陶芸家川本太郎さんの自宅だった。 ここは、自然がいっぱい。空気もうまい。 太郎さんは、庭で火を起こし、僕たちを待ってくれた。 あるもので作る。でき…
休みの日はデパ地下ぶらぶら 千恵はデパ地下が好きだった。 日曜日は、天神大丸の地下2階を歩き回っていた。 幼い娘を連れて、試食をしていた。 娘には、「いただきます」「ごちそうさま」をきちんと言わせていた(笑) 2人でもぐもぐ、もぐもぐ‥。 デパ地下…
太陽の恵み わが家には、大小の竹ざる(干しざる)がいくつもある。 闘病中の千恵が、干し野菜や梅干しを作るために使っていたのものだ。 千恵は、天気の良い日は、切った野菜を竹ざるに並べ、バルコニーに干した。 太陽の恵みで、食材の栄養価がパワーアッ…
助産院がつないでくれた不思議な縁 2007年4月4日のブログ「春日助産院」の冒頭で、千恵は2人の女性を紹介している。 ひとりは沖縄の歌手、小山良子さん。 僕たち家族が始めた音楽イベント「いのちのうた」の名付け親で、歌うことを躊躇していた千恵の背中を…
がん患者と家族の心得 「妻を助けるには、どうしたらいいでしょうか」 講演を終えた後、がん患者と暮らす家族から、こんな質問を受けることがよくある。 僕は医者ではないので治療のことは答えられない。だが、がん患者の家族として、どう接してきたかについ…
娘の度胸は母の遺伝 昨年11月、娘と沖縄県宮古島に行った。 目的は、島のライブハウス「GOOD LUCK」で開かれたコンサート。 ここで、娘は予定してなかった出演のチャンスをいただいた。 ライブハウスの計らいで、娘は、ウルフルケイスケさんのギター演奏で即…
何をするために生きているのか 千恵が生前、こんなことをよく話していた。 「死についてあまり考えたことがない、というのは、生きることについて真剣に考えたことがない、というのと同じこと。がんになったおかげで自分は何をするために生きているのかを考…
ネタにされ、平和な気持ちに 千恵は時々、ブログで僕を茶化して遊んでいた。 あの頃は、恥ずかしいことを暴露されても構わなかった。 腹が立つなんてことはない。むしろ、平和な気持ちになった。 ずっと、このままでいてほしい、と願った。 真太郎(千恵の弟…
街を歩くのも命懸け 千恵が書いたブログ「マスクマンな日々」を読んで、闘病中の彼女がどこに行くにもマスクをしていたことを思い出した。 感染症予防のためだ。 抗がん剤治療中のがん患者は免疫力が低下している。 風邪をひいたら、肺炎になって死に至るこ…
心を癒やす「酵素風呂」 お彼岸に、亡き妻千恵が眠る福岡県糸島市の墓を訪れた。 墓参りの後はいつも、近くの風呂に立ち寄る。 風呂といっても普通の風呂ではない。ヒノキのおがくずに野菜や果実などが原料の70種類もの酵素を混ぜ込み、その発酵熱を利用した…
人生7割で良し がん闘病中の千恵が実践していた主な治療は、標準治療と食事療法。 もうひとつ、治療の土台として重要視していたことがある。 「心の持ちよう」だ。 具体的には、笑うこと、ぼーっとすること。 千恵は、仲良しの友人とお茶を飲み、映画を観て…
つながる 千恵は、たくさんの人から、たくさんの愛をいただいた。 助産師の内田美智子先生、料理家のタカコナカムラ先生は、まだ温もりの残るネックレスを寝たきりになった千恵の首にかけてくれた。 ロック歌手、三宅伸治さんからもらったものは、忌野清志郎…
「台所から社会を変えたい」 千恵の乳がんが発症した2000年7月。 手術直前まで、僕たちは旅行や映画、コンサートなどに出かけた。 夜、眠れなくなることがないように。体がヘトヘトになるまで楽しんだ。 乳がんの不安を少しでも薄める狙いがあった。 千恵の…
妻のルポルタージュ「ネタ探しの旅」(後編) 僕の手術は無事に終わったが、その後も災難続きだった。 入院の付き添いを面倒くさがっていた妻が、なぜか夕食まで付き合ってくれるようになった。 その理由は‥。 面白い病院(2007年3月2日) 昨日、1時間程度で…
ユーモアで包み込んだ指摘 こいつ、なかなかやるなあ。 僕の入院をネタにした千恵のブログを読んで、そう思った。 当事者にとってはつらい話であるが、当事者が読んでも笑えるのだ。 ディスられていることを感じさせないユーモア。 手術の不安が薄まり、免疫…
家族の中心に、はながいた 結婚して2度目の年を越した2003年2月20日。 午前9時25分、新しい生命が誕生した。 乳がんの発覚から2年半がたっていた。 赤ちゃんは元気な産声を上げた後、傷跡のない、千恵の右側のおっぱいに吸い付いた。 その傍らで、僕はずっと…
今死ぬ気はないから、まだ死ぬ準備はしない わが家には数え切れないほどのエプロンがある。 ほとんどが子ども用。身近な大人たちが、はなのために買ったものだ。エプロンは、千恵が「食べることは生きること」を、はなに伝えようとした象徴でもある。 2007年…
千恵がブログを書いた理由 突然だった。 2006年12月。千恵がブログを書く、と言い始めた。 タイトルは「早寝早起き玄米生活〜がんとムスメと、時々、旦那」。ハンドルネームは「六本松さくら」。「六本松」は福岡市の自宅近くの地下鉄駅名。隣の駅が桜坂だか…
成績は悪くてもいいが、勉強嫌いにはなってほしくない 僕は小学生のころ、「福沢諭吉になりたい」という作文を書いて、新聞に掲載された。 おそらく、伝記を読んで感動しまくったのだろう。 その作文を引っ張り出して、読み返した。脳みそがシンプルだなあ、…
人がどう思うかではなく、自分がどう思うか 昨春、千恵の遺品を整理した。 服はかなりの量を処分したが、捨てられないものもあった。 そのひとつが、かつらだ。 目にしっかりと焼き付いているからだろうか。 今もタンスの中に保管している。 僕の頭がハゲた…
気合を入れ直して 昨夜は、友人たちが新刊「はなちゃんのみそ汁 青春篇」の出版パーティーを開いてくれた。 コロナ感染者が増えつつある中だったので、「宴会は日中」「2時間以内で終わる」「密を避けて少人数」の縛りを設けた。福岡市近郊に住む約30人が…
車の中で泣いた 九州がんセンターで「あと3カ月で寝たきりになる」と診察されたとき、駐車場に止めた車の中で、僕たちは今後の治療について話し合った。 僕は、あのとき確かに「主治医の助言の通り、やってみようよ」と言った。 千恵は泣いた。 千恵は、未来…
これまでありがとう。これからもよろしく。 昨夜、東京から福岡に戻った。 今回の目的は、新刊「はなちゃんのみそ汁 青春篇」のプロモーション活動。 娘と2人で行く東京は久しぶりだった。 24時間テレビでお世話になった日本テレビの次屋プロデューサー、…
梅醤番茶 「はなちゃんのみそ汁 青春篇」のプロモーション活動で娘と東京に来ている。 2泊3日の滞在で、4月1日のきょうが最終日。 昼夜は、久しぶりに会う仲間たちとの食事会が続いた。 先週も3日間、新潟の知人宅にお邪魔し、海の幸と地酒をたらふくいただ…