読書
ホルモン療法の副作用 千恵が、ホルモン療法を継続しているころ、僕は、時々、会社で胸騒ぎがした。 昼休み、彼女の様子を見に自宅に戻ることがあった。 自宅はマンションの12階。 カーテンを閉め切った薄暗い部屋の中に千恵はいた。 窓際にひざを抱えて座っ…
他界後、出版社を通じて発信 妻、千恵は5歳の誕生日を迎えた娘に、みそ汁作りを任せた。 娘は「みそ汁作りは、はなの仕事」と自分に言い聞かせながら、台所に立った。 2008年2月22日、千恵はその一部始終を写真に収めた。 2008年2月22日 2008年2月22日 2008…
食の取材に便乗する妻と娘 出版編集者の仕事をしていた16年前、長崎県佐世保市の有機農家、吉田俊道さんと料理家のタカコナカムラさんの共著「まるごといただきます」(西日本新聞社)の出版を企画。2007年12月20日早朝、僕たち取材スタッフは、車に撮影機材…
「ママが、かわいそうすぎるやん」 娘が小学5年生の頃だった。 車の後部座席に置いていた本『はなちゃんのみそ汁』を手にする娘の姿が運転席のミラーに映った。出版からすでに1年半が経っていた。 しばらくして、娘は「やっぱり、無理」と言って、本を閉じた…
生気に満ちた表情に 千恵は、助産師の内田美智子先生と知り合って、何事にも精力的になった。 がんは全身に転移していたが、表情は生気に満ちていた。 内田先生の著書「ここ 食卓から始まる生教育」(西日本新聞社)に感銘を受け、講演会も手伝った。先生が…
「ここ」販促委員長の妻 「きょうね、私の顔を見て、急に泣き出したお母さんがいたのよ」 2007年12月13日に千恵が書いたブログを読んで、彼女が笑いながら、そう言っていた日のことを思い出した。 千恵が、そのお母さんと出会ったのは、内田美智子先生の講演…
「ナマケモノ」かもしれないが「怠け者」ではない 妻は自分のことを動物の「ナマケモノ」に例えていた。 下関市立安岡中学校で「命と食」をテーマに講演(2018年12月6日) でも、この世に体がなくなった今も、まだ、働いている。 死んどるばってん、生きとる…
妻がブログにつづった一節 ある休日の午後。 僕が車を運転しているときだった。 後部座席に置いていた僕たちの本『はなちゃんのみそ汁』を手にする娘の姿が運転席のミラーに映った。出版からすでに1年半が経っていた。ようやく、はなが本を読む気になってく…
夫婦のユニット名 妻の闘病生活が新聞連載で紹介されたことは、以前、こちらのブログで書きました。 hanamisosoup.com 妻は、ブログのハンドルネーム「六本松さくら」で連載に登場。 まだ、実名での取材対応には、躊躇しておりました。 僕は今、ブログで実名…
シリーズ累計100万部を突破 イケイケだったあの頃。 書籍編集者として、東京には何度も上京した。 ジュンク堂書店新宿店の書籍売り場(2007年10月12日) 後に、シリーズ累計100万部を突破した「食卓の向こう側」。 全国の新聞社でつくる出版協議会から講演を…
助けられているのは僕たち家族です 千恵が亡くなった後、本を書いた。 それがドラマになり、映画化もされた。 全国の人たちから励ましの手紙やメールをいただいた。 千恵が遺した音楽イベント「いのちのうた」は毎年、続けている。 講演会場では、娘を抱きし…
100万回生きたねこ 千恵は絵本が好きだった。 2000年7月、千恵が乳がんの手術(左乳房全摘出)をするかどうか迷っていたとき、勤めていた小学校の同僚が、絵本「100万回生きたねこ」(講談社)を病室に持ってきてくれた。 絵本「100万回生きたねこ」を読む千…
妻の闘病が新聞連載に 妻千恵が名付けた「ダンディーT」とは、西日本新聞社の僕の同期であり、友人の田中耕記者。2007年10月、彼が妻の新聞連載を書いた。 妻の実名を出さず、ブログのハンドルネーム「六本松さくら」の名で。 連載タイトルは「いのちのうた…
すべては、ここから始まった 「同業他社の枠を越えて付き合ってもらえませんでしょうか」 2009年の春。深夜、1通のメールが届いた。 金子元希さん。朝日新聞西部本社の記者からだった。 出会って3カ月が過ぎた6月14日。 朝日新聞に「小さな手、朝の台所」「…
「生きた証を残したかった」 妻をがんで亡くされた元読売テレビアナウンサーの清水健さん。 彼と初めて出会ったのは、2017年秋。 文藝春秋が企画した対談だった。 清水さんの妻奈緒さんは2015年、29歳で他界。 そのとき、長男は生後112日だった。 清水さんの…
生前の言葉が本の帯に 千恵はブログで「六本松さくら」のハンドルネームを名乗った。 「六本松」は、自宅近くの地下鉄駅名。 隣の駅が「桜坂」だから、名は「さくら」。 いい加減である。 その「六本松さくら」が、本の帯を書いたことがある。 「いのちをい…
いつか、リベンジを 「いのちのうた」でコヤナギシンジさんの「パパのうた」を歌った。 高校の同級生、栗原靖史にギターの伴奏を頼んだ。 心を込めて歌ったが、緊張のあまり、出だしで歌詞を間違った。 「いのちのうた」で「パパのうた」を歌う(2021年11月2…
やさしいは、かっこいい 父一人子一人になった。 クリスマスイブは娘と2人。 僕は寂しさを紛らわそうと、大きなツリーを買い、イルミネーションで部屋中をキラキラに装飾した。 娘はチキンとケーキをお腹いっぱい食べて、 サンタさんからのプレゼントを楽し…
思いがけない贈り物 小学生の頃、水彩画を習っていた。 写真家の父の一眼レフもその頃から使っていた。 絵画や写真は、好きだったし、新聞社主催のコンクールでは何度も入賞。 自分には美術の才能があると信じ込んでいた。 高校を卒業したら、芸大に進学した…
けんぶち絵本の里大賞 2017年2月18日。 ここは、北海道の旭山動物園。 旭山動物園の白樺を背景に(2017年2月18日) 娘は幼い頃から、ペンギンが大好き。 旭山動物園で対面することができました。 旭山動物園の冬の風物詩「ペンギンの散歩」(2017年2月18日)…
生き抜く力 15年前(2007年)、乳がんを発症したタレントの山田邦子さん。 いつの時代も、テレビタレントのがん告白は、衝撃的にニュースに取り上げられるものだが、邦ちゃんは、2020年には芸能人生活40年を迎え、今もYouTubeなどで元気な姿を見せてくれてい…
やさしい空気に包まれて 涙を流しながら語り合い、最後は全員、笑顔で締めくくることができた。 家族らとの死別を癒やすグリーフケアについて考えるワークショップ「大切な人を亡くした後、あなたはどう生きますか」。会場を提供してくれた六本松蔦屋書店に…
喪失からの再生 大切な人を失った。その事実を文章に起こす作業はつらい。 それでも、なぜ、書くのか。 安武千恵という1人の女性が、この世に生きた証を残したかったからだ。 娘に活字で残したかったからだ。 2012年に出版した本は、千恵が何を考え、生きて…
食べ物さん、ありがとう 大切なことはユーモアをまじえて伝える。 千恵は、この本からその極意を学んだのかもしれない。 亡くなる91歳まで若さを保ち、自身の栄養学を実証した川島四郎先生の名著「食べ物さん、ありがとう」。 千恵が愛読していた川島四郎先…
喪失と悲嘆を語り合うワークショップ 昨夜、以前勤めていた会社の同僚と飲みました。 お店は、福岡市博多区住吉3丁目の「酒場 それなり」。 初めての訪問だったのですが、驚きました。 女将さんの料理が何を食べても絶品なのです。 料理はすべて小ぶり。手作…
男も座って用を足す 昨日14時から、わが家でスタートした春の宴。 途中で合流する友人もいたため、お開きは22時。 8時間ノンストップ。 あまりにも楽しかったため、調子に乗って飲み過ぎた。 50代後半のおじさんにはこたえる。 深く反省。 先日も、わ…
バズるとは、こういうことか 昨日は、千恵のブログ「早寝早起き玄米生活」がブログ村の「代替療法部門」で2位になった、という話。偶然にも、その日、西日本新聞に「はなちゃんのみそ汁 青春篇」の記事が掲載されました。 news.yahoo.co.jp 記事は、Yahoo!…
妻のブログ、ランキング2位に浮上 妻がブログを始めて4カ月が過ぎたころ(2007年4月)。 ブログ村の「代替療法部門」で人気ランキングが全国2位になっていた。 びっくりした。 一体、何がランキングに火をつけたのだろうか。 わが家の出来事を自作の…
書くことを頭のリハビリに ふと思い立って、新たな場で再開したブログ。 続くだろうかと不安もあったが、 今日で44日連続になる。 旅先でも。 仕事でどんなに夜が遅くなっても。 日記だとすぐに滞ってしまう僕が、ブログを毎日書いている。 奇跡。 昨日は…
俺はミュージシャンだ! 声楽家の千恵と結婚し、僕は音楽にはまった。 音楽イベント「いのちのうた」(千恵の追悼コンサート)では、サックスでロックを演奏。聴くことは好きだったが、まさか自分がステージに立つとは夢にも思ってなかった。 コンサートでは…