読書
小花的味噌湯 料理を作る喜びを子どもたちに体感してほしい。 9年前、そんな思いから製作した絵本「はなちゃんのみそ汁」(講談社)。 このほど、中国語版が完成し、わが家に届いた。 近く、中国の書店に本が並ぶ。 タイトルは「小花的味噌湯」。 漢字で書く…
新聞の連載記事を書籍化 日々の食事が、がんの原因になる、とは断定できないかもしれない。 だが、日々の食事とがんは関係ない、とは言い切れない。 亡き妻千恵が、そのことに気づいたのは、2003年12月だった。 西日本新聞で始まった連載「食卓の向こう側」…
ハチドリのひとしずく 新聞記者や書籍編集者の仕事をしていたころ、 活字の力で世の中を変えたい、などと 大それたことを考えていた。 そして、幾度も打ちのめされた。 あのころは、青かった。 今は、映像製作の仕事をしながら、全国各地で講演もやっている…
ママの本 就職活動にまもなく突入する娘。 一緒に暮らしていて、今はいろいろと、 いっぱいいっぱいであることが、よくわかる。 昨日、娘の部屋で娘と30分ほど話をした。 大学のこと、友人関係のこと、そして、将来のこと。 娘は、今抱えている不安を吐露し…
使える薬が減っていく 再発・ 転移したがんの治療で目指すのは、多くの場合、初回の治療とは異なる。 治療の目標には「がんを治す(根治)」「がんの進行を抑える」「がんによる症状を和らげる(緩和)」ことがあげられる。 初回の治療では、多くはがんが臓…
まだ見ぬ孫に 娘は絵本が大好きだった。 妻が他界した後も、毎晩、毎晩、読み聞かせ。 僕が読み終わると、必ず「もう一回」とリクエスト。 夜は、へとへとだったから。 こっちが寝落ちしてしまうことは、しょっちゅう。 中でも、娘が好きだった絵本は、谷川…
困難を乗り越える競艇選手の姿に共感 還暦を過ぎてもトップアスリートとして活躍する競艇選手が、ご近所さんにいる。 「ボートレース界の女王」「グレートマザー」と呼ばれる日高逸子さんだ。 僕が逸子さんの書籍出版の編集に携わった縁で、家族ぐるみで付き…
天国の妻から娘に 急がなくていい。 あわてんでいい。 昨日、いっぱい、いっぱいな娘に、ちょうど、そんな話をしたところだった。 絶妙のタイミングで、良い本を紹介してくれた。 さすが、千恵さん。 わたしたちは、何を急いで生きているんだろう(2008年4月…
B型自分の説明書 トイレの中で、妻の笑い声が聞こえてきて、不気味だった。 この本を読んでいたんだな。 古い本だが、今、読み返しても面白い。 現在は、文庫化されています。 先見の明 〜K野さんの予想当たり〜(2008年4月21日) 今年のホワイトデーに、K野…
ホルモン療法の副作用 千恵が、ホルモン療法を継続しているころ、僕は、時々、会社で胸騒ぎがした。 昼休み、彼女の様子を見に自宅に戻ることがあった。 自宅はマンションの12階。 カーテンを閉め切った薄暗い部屋の中に千恵はいた。 窓際にひざを抱えて座っ…
他界後、出版社を通じて発信 妻、千恵は5歳の誕生日を迎えた娘に、みそ汁作りを任せた。 娘は「みそ汁作りは、はなの仕事」と自分に言い聞かせながら、台所に立った。 2008年2月22日、千恵はその一部始終を写真に収めた。 2008年2月22日 2008年2月22日 2008…
食の取材に便乗する妻と娘 出版編集者の仕事をしていた16年前、長崎県佐世保市の有機農家、吉田俊道さんと料理家のタカコナカムラさんの共著「まるごといただきます」(西日本新聞社)の出版を企画。2007年12月20日早朝、僕たち取材スタッフは、車に撮影機材…
「ママが、かわいそうすぎるやん」 娘が小学5年生の頃だった。 車の後部座席に置いていた本『はなちゃんのみそ汁』を手にする娘の姿が運転席のミラーに映った。出版からすでに1年半が経っていた。 しばらくして、娘は「やっぱり、無理」と言って、本を閉じた…
生気に満ちた表情に 千恵は、助産師の内田美智子先生と知り合って、何事にも精力的になった。 がんは全身に転移していたが、表情は生気に満ちていた。 内田先生の著書「ここ 食卓から始まる生教育」(西日本新聞社)に感銘を受け、講演会も手伝った。先生が…
「ここ」販促委員長の妻 「きょうね、私の顔を見て、急に泣き出したお母さんがいたのよ」 2007年12月13日に千恵が書いたブログを読んで、彼女が笑いながら、そう言っていた日のことを思い出した。 千恵が、そのお母さんと出会ったのは、内田美智子先生の講演…
「ナマケモノ」かもしれないが「怠け者」ではない 妻は自分のことを動物の「ナマケモノ」に例えていた。 下関市立安岡中学校で「命と食」をテーマに講演(2018年12月6日) でも、この世に体がなくなった今も、まだ、働いている。 死んどるばってん、生きとる…
妻がブログにつづった一節 ある休日の午後。 僕が車を運転しているときだった。 後部座席に置いていた僕たち家族の本『はなちゃんのみそ汁』を手にする娘の姿が運転席のミラーに映った。出版からすでに1年半が経っていた。ようやく、はなが本を読む気になっ…
夫婦のユニット名 妻の闘病生活が新聞連載で紹介されたことは、以前、こちらのブログで書きました。 hanamisosoup.com 妻は、ブログのハンドルネーム「六本松さくら」で連載に登場。 まだ、実名での取材対応には、躊躇しておりました。 僕は今、ブログで実名…
シリーズ累計100万部を突破 イケイケだったあの頃。 書籍編集者として、東京には何度も上京した。 ジュンク堂書店新宿店の書籍売り場(2007年10月12日) 後に、シリーズ累計100万部を突破した「食卓の向こう側」。 全国の新聞社でつくる出版協議会から講演を…
助けられているのは僕たち家族です 千恵が亡くなった後、本を書いた。 それがドラマになり、映画化もされた。 全国の人たちから励ましの手紙やメールをいただいた。 千恵が遺した音楽イベント「いのちのうた」は毎年、続けている。 講演会場では、娘を抱きし…
100万回生きたねこ 千恵は絵本が好きだった。 2000年7月、千恵が乳がんの手術(左乳房全摘出)をするかどうか迷っていたとき、勤めていた小学校の同僚が、絵本「100万回生きたねこ」(講談社)を病室に持ってきてくれた。 絵本「100万回生きたねこ」を読む千…
妻の闘病が新聞連載に 妻千恵が名付けた「ダンディーT」とは、西日本新聞社の僕の同期であり、友人の田中耕記者。2007年10月、彼が妻の新聞連載を書いた。 妻の実名を出さず、ブログのハンドルネーム「六本松さくら」の名で。 連載タイトルは「いのちのうた…
すべては、ここから始まった 「同業他社の枠を越えて付き合ってもらえませんでしょうか」 2009年の春。深夜、1通のメールが届いた。 金子元希さん。朝日新聞西部本社の記者からだった。 出会って3カ月が過ぎた6月14日。 朝日新聞に「小さな手、朝の台所」「…
「生きた証を残したかった」 妻をがんで亡くされた元読売テレビアナウンサーの清水健さん。 彼と初めて出会ったのは、2017年秋。 文藝春秋が企画した対談だった。 清水さんの妻奈緒さんは2015年、29歳で他界。 そのとき、長男は生後112日だった。 清水さんの…
生前の言葉が本の帯に 千恵はブログで「六本松さくら」のハンドルネームを名乗った。 「六本松」は、自宅近くの地下鉄駅名。 隣の駅が「桜坂」だから、名は「さくら」。 いい加減である。 その「六本松さくら」が、本の帯を書いたことがある。 「いのちをい…
いつか、リベンジを 「いのちのうた」でコヤナギシンジさんの「パパのうた」を歌った。 高校の同級生、栗原靖史にギターの伴奏を頼んだ。 心を込めて歌ったが、緊張のあまり、出だしで歌詞を間違った。 「いのちのうた」で「パパのうた」を歌う(2021年11月2…
やさしいは、かっこいい 父一人子一人になった。 クリスマスイブは娘と2人。 僕は寂しさを紛らわそうと、大きなツリーを買い、イルミネーションで部屋中をキラキラに装飾した。 娘はチキンとケーキをお腹いっぱい食べて、 サンタさんからのプレゼントを楽し…
思いがけない贈り物 小学生の頃、水彩画を習っていた。 写真家の父の一眼レフもその頃から使っていた。 絵画や写真は、好きだったし、新聞社主催のコンクールでは何度も入賞。 自分には美術の才能があると信じ込んでいた。 高校を卒業したら、芸大に進学した…
けんぶち絵本の里大賞 2017年2月18日。 ここは、北海道の旭山動物園。 旭山動物園の白樺を背景に(2017年2月18日) 娘は幼い頃から、ペンギンが大好き。 旭山動物園で対面することができました。 旭山動物園の冬の風物詩「ペンギンの散歩」(2017年2月18日)…
生き抜く力 15年前(2007年)、乳がんを発症したタレントの山田邦子さん。 いつの時代も、テレビタレントのがん告白は、衝撃的にニュースに取り上げられるものだが、邦ちゃんは、2020年には芸能人生活40年を迎え、今もYouTubeなどで元気な姿を見せてくれてい…