テレビドラマはフィクションです。
千恵が「がんの標準治療を拒否した」と指摘されることが多々ある。
他にも「あの家族は、現代医療を否定している」という飛躍したコメントや、娘が整形手術をしている、との書き込みを見かける。
いずれも匿名。僕たち家族が、その人たちから取材をされたわけでもなければ、その人たちがどこかで裏付けをとった話でもない。
愛する娘や妻のことに話(事実ではない話や中傷)が及ぶと、僕の心もざわつく。
相手の土俵には乗りたくないが、それを信じたり、誤解する人も少なからずいるかもしれないので、この場を借りて事実をお伝えしたい。
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僕たちは、がん標準治療も現代医療も否定してない。昨日も福岡赤十字病院で定期検診を受け、薬を処方してもらった。学校や知人から頼まれて、時々、講演もするが、社会活動家ではない。世の中の平和を願う普通の家族です。
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まず、今回は「拒否した」と指摘されている「標準治療」について。
事実の概略と経過は、以下の通り。
①がん再発時に抗がん剤を一度拒否したことはあるが、その時は、主治医に「他の治療方法はないか」と相談。検査の結果、有効であることが確認されたホルモン療法を選択した。ホルモン療法も標準治療のひとつである。
②8年間の闘病中、何種類もの抗がん剤(タキソール、タキソテール、AC、ナベルビン、TS-1など)を使っている。
③2008年6月、抗がん剤に肝臓が耐えられなくなり、使える薬がなくなった。医師から余命告知された。
※詳しくは書籍「はなちゃんのみそ汁」(文藝春秋)に記述。ちなみに「24時間テレビ」のドラマはフィクションです(最後にテロップが流れる)。
2000年7月、千恵は乳がんと診断された。
手術の後、抗がん剤治療を受けた。
複数の抗がん剤を組み合わせる多剤併用療法。
アドリアマイシン、エンドキサンという2種類の異なる作用機序の抗がん剤を組み合わせたAC療法と、タキソール。それらを交互に点滴で注射する化学療法が「悪性度の高い乳がんには有効」という結果が確認されていた。いずれも厚生省(当時)が認可したばかりの新薬だった。
抗がん剤の副作用のつらさは、がん患者しか、わからないだろう。
我慢強い千恵が、嘔吐し、泣き叫び、殺してほしい、と苦しみもがいた。
2001年8月5日、僕たちは結婚。
その2年後、奇跡的に娘を授かった。
だが、がん患者にとって、出産はリスクが高い。
2003年12月、がん再発。肺に転移していた。
千恵は、九州がんセンターの主治医に相談しながら、抗がん剤以外の治療法を模索した。
ホルモン療法が有効であることが分かり、卵巣から出るエストロゲンを抑える注射のほか、保険外治療(代替療法)と食事療法にも取り組んだ。
2004年11月、肺の転移がんが消失。
何が効いたのか分からなかったが、とにかく消えた。
主治医も驚いていた。
その後、ホルモン療法による鬱病に悩み、セカンドオピニオンに相談の上、九州がんセンターへの通院を一旦打ち切った。
一定期間、通院しなかったのは、現代医療を否定していたからではない。
ホルモン療法を休むことで、体調が良くなったからだ。
※その間、本人の希望で、別の病院での保険適用外診療を継続した。
しかし、油断もあった。
九州がんセンター通院再開の時期を見誤った。それは僕にも責任がある。
2006年2月、2度目の再発で、九州がんセンター通院再開。
その後は、亡くなる約1カ月前(2008年6月)まで抗がん剤を使用している。
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2007年頃は、がんに耐性ができて、使える抗がん剤は残り少なくなっていた。
そうした状況の中、選択した薬が「ナベルビン」だった。
千恵は、その抗がん剤(標準治療)に賭けていた。
治療計画の変化球 〜ナベルビン〜(2007年8月24日)
今、私が受けている抗がん剤「ナベルビン」は、もともと肺がんの治療薬。
そこで、主治医が嬉しい提案をしてくれました。
「千恵さん、前回も2クール目の2週目を打ってお休みに入る週に白血球が下がっているでしょう。 恐らく、次回もそうなる可能性が大きいのよね。血液検査しかしないのに、その度に病院出てくるの大変でしょ。 だから、2週続けて打って、2週間休みにしましょうね」
さっそく、帰宅後すぐに、家の隣のかかりつけのクリニックに血液検査のお願いに行って本日のお仕事終了。
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