助けてあげられる人に
娘には「人に迷惑をかけちゃいけない」と言い聞かせて育ててきた。
妻のブログ(2008年1月16日)を読んで、人に迷惑をかけてもいい場合がある、ということに気付かされた。
自分ではできないけれど、人に助けてもらってできるのなら、それは諦めなくてもいい。
その代わり、助けを求められれば、助けてあげられる人になってほしい。
そういう人に、僕もなりたい。
私のために生きてください(2008年1月16日)
助産師の内田美智子先生から、こんな話を聞きました。
脳の病気で、半身不随になった小学生の男の子。
最初は意識不明だったのに、同級生の「がんばって!」「一緒に遊ぼう!」という録音テープの言葉かけで、病院で意識を取り戻しました。
その後、退院。
学校に復帰し、学校行事にも参加。
でも、彼は、何をするにも、家族や友達の助けを借りないとできない状態になっていました。
そんな状態がしばらく続いたある日。
彼は思いました。
「僕は人に迷惑をかけてしか生きられない。生きている価値があるのだろうか」と。
そんな彼に同級生が言いました。
「僕たちのために生きて」と。
「君が生きていることが、私たちの希望なのだから」と。
その言葉を聞いたその男の子は「人に迷惑をかけてしか生きられない自分を情けなく思っていたけれど、そんな自分を必要としてくれる人がこんなにいるんだ。じゃあ、僕は君たちのために生きるよ」と言いました。
12歳で気がついたのです。
私は三十路手前になってから、ようやく気がついたというのに。
彼は、その後間もなく亡くなったそうです。
でも、彼の支えになった同級生たちは、20代に入ろうかという現在、介護の仕事に就いたり、専門学校に通ったりして、介護、看護の道を目指しているそうです。
彼は死んでしまいましたが、同級生の心の中には、しっかりと彼が生きているのですね。
私はがんになり、人に迷惑をかけなければ生きられない時期を何度か味わいました。
その闇に突入するたびに何度となく、
「もう、きついな。死んでもいいかな」とか、
「生きている方が、つらいな」とか思っていました。
でも。
生きるモチベーションが限界にまで落ち込んだとき、
いつも、絶妙なタイミングで周りの人に救われてきました。
それらのタイミングを逃していたら、私は今、生きてなかったかもしれません。
ある親友は、入院していた私に言いました。
「首だけになってでもいいから、生きて」
そのときは、理解し合っていた友人だっただけに、
「なんちゅーこと言うんだ。人ごとだから、そんなことが言えるのだ」と思ったものでした。
でも・・
そうじゃなかった。
今、わたしの周囲には、そんな想いを抱いて生きている人が何人かいます。
闇の中で、もがきながら生きている彼らを見て、私も思うのです。
「首だけになってでもいいから、生きて」と。
あなたが生きていることが、私の生きる支えなのです。
どうか、生きてください、と。
炒り玄米を作るから。
ごま塩も作るから。
メールだってするから。
会いにも行くから。
私のために生きていてください。
どちらさまも、うっかりクリック。