故人を語ることとは・・・
妻が他界して今夏で15年。
ブログを書いたり、書籍を出版したり。
毎年の追悼コンサートも辛気臭い。
いつまで、悲しみを引きずっているんだ。
そんなふうに、お感じの方もいると思う。
一方で「悲しみを抱えながらどう生きるかを教わった。続けてほしい」との声も。
受け止め方は人それぞれ。
生き方もいろいろ。
それでいいんじゃないか、と思う。
どう伝えたらいいのだろう。
故人を語ることは、未来を生きること。
分かりにくいかな。
そんなことを考えていると、1月29日にすい臓がんで亡くなられた鮎川誠さんを追悼する新聞記事を目にした。
3KINGSで鮎川さん、三宅伸治さんと活動を共にした友部正人さんの寄稿文「鮎川誠さんを悼む/たどり直す まっすぐな人生」。記事の後半では、2022年9月、3KINGSとして最後のライブになった東京・代官山でのライブで鮎川さんが語った内容について触れられていた。
訃報を知って、1週間。まだ、悲しみを引きずっていたが、読んだ。
・・・。そして「一本道」を歌う時、いつものように1972年の福岡・九電記念体育館での、ぼくとの出会いについて語った。彼の記憶の泉からくみ出されるエピソードは何度聞いても面白く、ぼくは曲の合間の彼の語りがとても好きだった。民話を語るように、彼は物語を常に出会いから始めた。おそらく彼は自分をたどり直しながら生きたのだと思う。そうやって道をつけながらまっすぐに生きた。・・中略・・
記憶をたどり直すことは、決して振り返ることではない。
自分をたどり直しながら生きる。
そうやって道をつけながら生きる。
「振り返る」で終わりではなく、その先がある。
鮎川さんも亡きシーナさんをライブで語り、旅を続けた。
友部さんが、僕の心境も見事に言語化してくれた。
ありがとうございます。
追記
以下、2年前のきょう(2/7)、facebookに投稿した動画と文。
千恵の墓参りに行って来ました。
娘はいろいろと報告したみたいです。
僕もいろいろと報告しました。
昨秋以来、5カ月ぶりの墓参り。
怒っとるかな。
怒っとるやろうな。
(2021年2月7日)
どちらさまも、下のボタンをうっかりクリック。