俺たちは年をとった
あれは、昨年9月の「いのちのうた 第15章」の打ち上げの席だった。
出演者全員がBassic.に集まり、僕は三宅伸治さんの隣に座った。
乾杯後、三宅さんが、珍しく僕に仕事のことを聞いてきた。
数年前から、三宅さんに相談していた、あるプロジェクトについてだった。
僕は進捗状況を説明し、「ゆっくりですが、確実に進んでいます」と答えた。
「よかったです。足踏み状態が続いていたようなので、ボツになったのかと思っていました」
そう言って、三宅さんはハイボールを一気に飲み干した。
「でもね、安武さん。これだけは覚えておいてください。俺たちは年をとった。できる限りのことはしますが、いつどうなるかわからない。そういう年齢なんです」
なぜ、三宅さんが「俺たち」と言ったのか。
昨日、あの人の訃報が飛び込んでくるまで、僕は気づいてなかった。
三宅さんは、鮎川誠さん、友部正人さんと3人組のバンド「3KINGS」の活動をしている。
ツアーやレコーディングなどでメンバーは頻繁に会う。
鮎川さんが、がんであることは伏せられていたが、三宅さんは知っていたのかもしれない。
いや、知っていたに違いない。
僕たちは、鮎川さんにも、そのプロジェクトに参加してほしい、と声をかけていた。
鮎川さん自身も、その仕事にかかわることを楽しみにしていた。
だから、三宅さんは「俺たち」と言ったのだ。
3日前の1月28日、福岡市のBassic.で三宅さんのライブがあった。
その日、僕は大分市の仕事と重なり、ライブに顔を出すことができなかった。
三宅さんは、シーナ&ロケッツの「レモンティー」を歌ったそうだ。
僕は、そのことを友人のSNSの投稿で知った。
そして、昨夜のニュース速報。
「痛恨の極み」としか言いようがない。
撮影:chiyori
鮎川さんは、シーナ&ロケッツの代表曲「ユー・メイ・ドリーム」を演奏する前、会場に語りかけた。
いろいろと思い出す。
2021年12月4日、横浜ベイホールであった「レインボークリスマス」の楽屋を訪ねると「おう、安武」って、手を振ってくれたこと。それほど深い付き合いをしていたわけではない僕の名前を覚えてくれていただけで最高にうれしかった。
直接、話をしたのは、あれが最後だった。
鮎川さん、きついです。
涙が止まらんです。
でも、鮎川さんが「はがいかー」っち、言うぐらい俺たちは楽しみます。
激しいけど、優しさも感じさせてくれるロックンロール。
唯一無二のロックをありがとうございました。
心より、ご冥福をお祈りいたします。
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