成績は悪くてもいいが、勉強嫌いにはなってほしくない
僕は小学生のころ、「福沢諭吉になりたい」という作文を書いて、新聞に掲載された。
おそらく、伝記を読んで感動しまくったのだろう。
その作文を引っ張り出して、読み返した。脳みそがシンプルだなあ、と思った。
でも、着眼点はいい。先見性もある。なにしろ、諭吉は1万円札になったのだから。小学生の自分を褒めてあげたい。
30年後、妻が「諭吉の言葉」に感銘を受けていた。
妻は「学問のすすめ」を3歳の娘に読み聞かせた。
「意味わからんやろっ」と突っ込みたいところだが、同じ諭吉ファンとして妻の気持ちは理解できる。
1万円札は大事だが、学問はもっと大事。
シングルファーザーになった僕は、子育てをするうえで、あることを心に決めていた。
「勉強しなさい」と娘に言わないことだ。
学習塾にも、本人が「行きたい」と言い出すまで行かせなかった。
変な話だが、小学校の担任の先生が「行かなくて、大丈夫ですか」と心配していた。
無理強いはしたくなかった。
成績は悪くてもいいが、勉強嫌いにはなってほしくない。
勉強は受験だけのためにあるのではない。
人は一生、勉強と付き合っていかなければならないのだから。
夢や目標ができたり、あることに興味が湧けば、人は勝手に勉強を始める。
似たもの夫婦。
今さらだが、15年前、妻が「諭吉の言葉」を娘と共有してくれたことがうれしい。
以下、妻のブログ。
諭吉の言葉(2007年2月16日)
さっきまで、娘と本を読んでいた。
その中に、諭吉の言葉があった。
そう。
「学問のすすめ」だ。
本の中には、短歌や俳句など、いろいろな言葉があったけど、今の私にこれはびびっときた。
「学問のすすめ」
天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らずと言えり。
されば天より人を生ずるには、万人は万人皆同じ位にして、
生まれながら貴賤上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって
天地の間にあるよろずの物を資(と)り、もって衣食住の用を達し、
自由自在、互いに人の妨げをなさずして
各々安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。
されども今広く この人間世界を見渡すに、
かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、下人もありて、
その有様雲と泥との相違あるに 似たるは何ぞや。
その次第甚だ明らかなり。
実語教に、人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なりとあり。
されば賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとに由(よ)って 出来るものなり。
思わず、娘を前に、声を出して2回も読んでしまいました。
つまり、こういうことです。(By 博多弁)
天の神様はくさ、人間ば造る時にくさ、上下関係なんか関係なく平等に造るったい。
やけん、人間はみんな同じレベルでくさ、金持ちも貧乏も関係なかと。
天からもらった身体と心でくさ、平等に天と地の物をいただくったい。
それで、衣食住を満たしてくさ、みんな自由な心でくさ、お互いに人の邪魔とかせんでくさ、それぞれ幸せに生きていくったい。
だけどくさ、周りば見渡してみたらくさ、なんかこの差は?
頭のよか人と、ばかな人とおってさ、貧乏人もおれば金持ちもおるったい。
貴族もおれば、召使いもおる。
その差はくさ、雲と泥くらい違うったい。なしやろか?
理由はくさ、簡単なことったい。
平安末期から明治初期まで使われとった教科書にくさ、「実語教」っちゅーとがあるんよね。
それにくさ、「人間は、勉強せんかったら賢くなれんと。賢くないってことはくさ、ばかっちゅーことなんよ」って書いてあるったい。
だけんがくさ、賢い人と愚かな人の差はくさ、勉強するかせんかで決まるっちゅーことたい。
もう、心の琴線にふれまくりです。
中高校時代に「びびびっ」てきてほしかったな。
彼がいたから、今の日本がある。
日本で1番位の高いお金=1万円札になるっちゅー話です。
天からもらった大切なこの身体。
私ひとりの物ではないんだ。
健康な身体と心をもらったはずなのに、知らないことが多すぎて、私は途中でくじけてしまった。
けれども。 人生、やり直しは、できる。
さあ。
今日もひとつ、心の琴線を動かしたところで。
より良く生きるための勉強を進めるとしますか。
写真:今日のアレンジメントの作品。われながら、お気に入り。1500円でこれだけのものができるなんて、ブラーヴァ。花は人に、無償の癒やしや愛情を与えるだけ。花のような人になれたらいいな。