心に根差した「喜びの味」
「しばらくの間、パパと夕食が食べられないので、今夜、はなが作るね。ゆっくりしてて」
娘は次の日から、夜のアルバイトが4日連続で入っていた。
僕は、冷蔵庫から缶ビールを取り出し、食卓で料理を待った。
冷えたビールを飲みながら、台所に立つ娘の後ろ姿を眺めた。
幼いころに、料理を作る喜び、食べてもらう喜びを知ったからだろうか。
しばらく、料理を作ることから遠ざかっていた時期もあった娘だが、「今は、すごく楽しい」と、台所に立つ幸せを噛みしめている。
「喜びの味」が、娘の心の深いところに、しっかりと根ざしているからに違いない。
2007年2月、がん闘病中の妻は4歳になった娘に包丁を持たせた。
「もし、ママがいなくなっても、娘が1人になっても生きていけるように」との思いから、風呂掃除、洗濯物たたみ、簡単な身の回りのことは自分でできるように教え込んだ。
2008年7月、妻は天国に旅立った。
妻亡き後、娘は、途方に暮れていた僕を喜ばせようと、毎朝、みそ汁を作った。
そうしたわが家の歴史をメディアで知った一部の人から娘は「元祖ヤングケアラー」「ヤングケアラーのはしり」などとネット上で呼ばれており、僕は「娘にケアされている毒親」「子育てを放棄している」と批判や嘲笑の対象になっている。
以前は、こうした書き込みに、多少のストレスを感じていたが、今は「なぜ、この人は、こうした考えに至ったのだろうか」などと推測しながら、とても興味深く読ませてもらっている。先日ブログに書いた「娘の整形疑惑!?」もそうだ。
わが家では、幼い娘が台所に立つときに約束事があった。
手を出さず、口を出さずに見守る。
自分でやった方が早い。つい、先回りしそうになるが、グッと我慢。
それが、どれほど、根気のいる仕事か。
すべては、娘の成長を後押しし、生きる力をはぐくむためである。
娘に家事をさせたのは事実だが、親の世話で、本来受けるべき教育を受けられなかったり、同世代との人間関係を満足に構築できなかったりする問題が潜む「ヤングケアラー」とは、根本的に意味が違うのだ。
ここからは、ご提案です。
いろんな考え方、受け取り方があっていいと思います。
「ヤングケアラー」についても、娘のことを心配されての書き込みなのかもしれません。
そこで、白黒つける議論ではなく、対話をしたいと考えています。
僕が詳細に知りたいのは、何も裏付けを取らずに、どうして、あたかもそれが事実のような書き込みをするのか、ということ。僕たち家族の生き方に、どのような疑問や怒りを感じていらっしゃるのか、ということ。
講演で全国を旅しておりますので、タイミングが合えば、取材も兼ね、直接、お会いして話をうかがいたいと考えています。難しければ、オンラインでも大丈夫です。
誰かのコメントに「そうだ、そうだ」と相槌を打つだけでなく、我こそはと思う方は、このブログの連絡先に公表している僕のメールアドレスに、ぜひ、ご一報ください。
「ヤングケアラー」に限らず、尾ひれがついて拡散されている「代替医療についての考え方」や「なぜ、本を出版したのか」などのテーマでも構いません。本にも書いているはずですが、あらためて、しっかり、丁寧に説明させていただきます。
ただし、この件でメールをいただく際には、どこの誰であるかを必ず明記してください。
匿名の方には、申し訳ございませんが、返信いたしません。
話は戻り、以下、昨夜の娘の手料理。
「まずは、おつまみをどうぞ〜」
最初の一品は、チーズを餃子の皮で包んだ揚げ物。
主菜はハンバーグ。
あーおいしかった。
【参考】映画「弁当の日」
【参考】東京ガス都市生活研究所の調査より