食で人を幸せに
がん患者が死ぬときはやせ細って死んでいく。
例外はあると思うが、食欲旺盛なまま、太りながら死んでいく人はいない。
食べることは生きること。
料理が苦手だった千恵は、毎日、台所に立った。
いつの間にか、料理が大好きになり、料理の講師を務めるほどになった。
「私の病気が治ったら、乾物カフェをやろうね」
夫婦で「人生の楽園」に出演することを目指していた。
妻が他界して今年の夏で14年。
娘は「食で人を幸せにする仕事がしたい」と大学で「フード・マネジメント」を勉強中。
僕たちの夢は叶わなかったが、妻の志はしっかりと娘に引き継がれている。
以下、2006年12月15日に千恵が書いたブログ。もし、自分が余命宣告をされたとき、妻のように強い心を持つことができるか。まったく自信がない。
余命宣告
がんになってから、余命宣告という言葉や場面に何度となく接してきた。
でも、余命宣告って何だろうかという思いが、年々強くなる。
昨日、「Dr.コトー診療所」を何気なく見ていたら、医者のセリフで「正確には、がんには治る治らないとかいう言い方はできないんです~中略~要は、生存率でしか判断ができないんです」という言い方をしていた。全国区のドラマで、こんなことを堂々と言うのだ。もはや、人間の頭の中には、「がんは治らないもの」というのが、きっちりとインプットされてしまっている。
私の場合。
3カ月前の主治医の言葉をそのまま借りると…
「このままの調子だと、3カ月後には肝臓がほぼ腫瘍で埋まります。そうすると、正常な細胞がなくなりますから、肝臓が働かなくなります。肝臓が動かなくなると、黄疸が出たり、疲れが激しくなりますから寝たきりになるでしょう」
「あと3カ月しかないんですよ」とも受け取れる重い言葉だった。
確かに、その時一緒に画像を見た限りでは、私の肝臓は最大の物で4センチの塊がごろごろ。
あとは、それよりも小さいけれど、数えるのが嫌になりそうなくらい腫瘍がたくさんちらばっていた。
あれから3カ月。
・・・・。
黄疸出てない…。
確かに、以前より疲れやすくなったかといえば、そうかもしれないけど。三十路超えましたしね。疲れやすくなるかとも思います。
それに第一、死ぬ気配なんかは、ゼロです…。
余命宣告って、本当に、何だろう。
余命宣告を受けた後、みるみる衰弱し、
余命宣告とは、
それ以外の何ものでもない気がする。
人間に、人の寿命は決められない。
余命宣告は、覆すことができると思うのだ。