彼女の顔を思い浮かべ
昨日、高校時代の友人と遊びに出かけていた娘から、うれしいメッセージがLINEで届いた。
その友人が、僕のブログを毎日読んでくれているというのだ。
先日投稿した「そこにいるだけでいい」(8/3)を読み、「めっちゃ泣いた」そうだ。
友人は、娘の同級生ゆなちゃん。19歳。
娘は中学生時代、「みそ汁」と呼ばれ、いじめに遭っていた。その経験がトラウマになって、周囲になかなか心を開くことができなかった高校入学直後、「友達になろうよ」って、最初に声をかけてくれたのが、ゆなちゃんだ。
彼女は今、動物看護師を目指し、専門学校に通っている。
はなに読んでほしくて書き始めたブログ「はなみそ番外篇」。
まさか、娘の友人が毎日読んでくれているとは、想像もしてなかった。
はなパパにとって、これほどうれしいことはない。
これからは、ゆなちゃんの顔も思い浮かべながら、ブログを書こうと思う。
本日紹介する、はなママからのメッセージ(過去ブログ)は、娘を支えてくれたゆなちゃんへの“返礼品”なのかもしれない。あきらめたら、そこで、ゲームセット。チャレンジ精神を忘れず、夢をつかんでほしい。
歌うということ 〜チャレンジは続く〜
この7年間、さまざまな治療を重ねたり、治療の副作用でホルモンのバランスが崩れたり・・・で、声帯が次第にぼろぼろになっていきました。
歌うことは、ぼちぼち続けていましたが、途中、両肺への転移も見つかり、その後は息苦しくなったり、咳が止まらなくなったりしたこともありました。良くなったり悪くなったりの繰り返しで、歌の中断はしょっちゅう。
リハビリが全て無駄になったことも多々あります。
そうして、ここにきて、腕の浮腫などで、楽しみであった三線の弦もつかめなくなり、先月、気管支のリンパの転移も新たにわかったりして。
以前は、私が歌っていることを知っていた主治医が、診察のたびに「千恵さん、歌っていますか?」と聞いてくれていたのに、転移がわかるごとに、その質問はなくなってきました。
できなくなることに関して、悲観はしないように決めています。
でも、この数年間で、大好きだった音楽の楽しみをひとつずつ奪われてしまったような気持ちになっていました。というより、「あきらめ」に近い境地でした。
何をするにしても、あきらめてしまうことは、とても簡単です。
あきらめたら、楽ですし。
続けることの方が、難しい。
けれど、一旦あきらめてしまった気持ちを、「よいしょ」っと起こすのには、けっこうなエネルギーを費やすわけです。
もう二度と歌えなくても、音楽は、聴くことだけを楽しみにできればいいかな・・・
そう自分に言い聞かせていた今日このごろ。
今年の秋に、あるイベントがあり、そこで歌うかどうかをぎりぎりまで迷っていました。
先週まで、迷っていたのですが。
今、「歌ってみようかな」という気持ちになってきています。
きっかけは、「一緒に歌おう」と誘ってくれた大切な友達の気持ち。
大学時代の恩師も、歌を歌う仲間も、三線の先生も、ことあるごとに、さりげなく励ましてくださいます。ありがたいことです。
最大の決心がついたきっかけは、その友達が私のことを想って詩を書き、作ってくれた曲を、先週初めて聴かせてくれた時。
包み込まれるような大きな愛情を感じる曲でした。
こんな私のために、時間をかけて産み出してくれた曲です。
そうして、どんなに有名な曲よりも、私には価値のある曲です。
この人のためにもがんばりたい、と心から思いました。
この曲が、私の堅く閉じられたココロを開いたのです。
涙が、ぽろり。
あと数カ月でどこまでできるか自分でもわかりませんが、また、歌ってみようと思います。
会場でお会いできる方に、「いのちのうた」を届けられるように。
頑張ります。
大きな愛情を届けてくれた友達
歌声を届けてくださった三線の先生
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