死ぬことは生きること
僕が死んだら、遺骨は、千恵が眠る糸島の墓に入れるよう娘に頼んでいる。
骨壷は、佐賀の陶芸家、川本太郎さんに作ってもらう。
残された家族に迷惑をかけないように、エンディングノートの準備もしよう。
しっかり、死と向き合ってみる。
そうすることで、逆に生きようとする力が出てくる。
「死ぬことは生きること」なのだ。
千恵が「人がいつどうなるかなんて、誰にも分からない」と言っていた。
義父も親友の伸太郎も、仕事仲間も、突然、いなくなった。
死とは実にあっけないものだ。
死は不意にやってくる。
死はどこにでもある。
死から逃げることはできない。
でも、死が終わりとは思わない。
千恵がそう感じさせてくれている。
骨になるということ(2007年8月14日)
生前より、父が希望していた海への散骨。
亡くなってから3年目の今年の盆に、家族がゆったり集まったので、ようやく実現することができました。
私の周りには、分骨や散骨をしている人はけっこういて、亡くなった人ゆかりの土地に骨を埋めたり、小さなケースに骨を入れて持ち歩いたりしている人も知っています。
骨を持ち歩いたところで、どうこうというのはないのでしょうけれど。
やっぱり、身につけたり身近に置くことによって、大切だった人が守ってくれるような気がするのは、不思議なものです。
父は、墓にあまり執着がなかったのですが(本当は、墓はいらないと言っていました)、そういうわけにもいかないので、墓にも納骨して。後は実家に置いて母が管理していました。
法律上は、散骨や分骨はだめなのかもしれません。
でも、法の「すきま」を縫って、みんな、故人の骨やお墓を守っているようです。
骨は必ず墓になければならないとか、何が正しいとか、どの宗教が良いとか、そんなのは自由でよいと思うのです。大切な人が亡くなったら、できるだけ、その人の遺志に従って残された人が行動すれば。
父の唯一のストレス発散は、大村湾での魚釣りでした。
突然死んでしまったけれど、元気な時からよく「俺が死んだら、骨は海に撒いてくれ」と、耳にタコができるくらい聞かされていました。
ですから・・・
みんなで波止場に行って、
まずは、長男である弟が、撒きました。
続けて、母、妹夫妻、旦那。
そして、
ムスメも・・・
大喜びで、またもや、ムスメ・・・
最後に、私。
私にとっては大きくて、存在感のあった父の骨は、ぽろぽろしてて、白くて軽くて。
そんな父の骨を手の平に握りしめ、海に撒く気分は、何とも言えないものでした。
何とも言えない気分を味わいましたが、
また一つ、みんな、前進できたような気がいたしました。
日本に初めてできた海上空港です。
私は、この空港を見ながら、この凪いだ海で遊んで育ちました。
ここの凪いだ海のように、
父の魂とみんなの心が、今後もずっと凪いでいますように。
人間は、みんな、死んだら骨になります。
偉い人も、名誉があっても、権力があっても、お金があってもなくても。
それだけは、平等にやってくる。
だから。
私は、お金も権力も地位も財産も、なあ~んにも持ってないけれど。
ムスメに何が残せるのか、ちっともわからないけれど。
やっぱり、地に足つけて、しっかり生きていかないかんと思うわけです。
そんなことを考えたお盆。
奇しくも今日は、父の誕生日。
お父さん、誕生日、おめでとう。
*今回の散骨について
父の遺志に従って遺骨の一部を散骨しましたが、散骨について、日本では賛否両論さまざまです。遺骨の扱いとして適当ではない、と考える方もいらっしゃいます。
それに、国によっても大きく異なると思います。韓国の映画を見ていますと、湖や海に故人の骨を撒く姿はよく捉えられています。日本では、法律上きっちり決まっているわけではありませんが、骨は、一般的に産業廃棄物と同じ扱いを受けます。
なので、撒く場合は、できる限り粉状の物を、少量撒く方が無難です。
あまり大きな骨を大量に撒きますと、もしかしたら、数日後に、「白骨が海から発見された・・・・」なんて、騒ぎになるかもしれませんしね。
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