生前の言葉が本の帯に
千恵はブログで「六本松さくら」のハンドルネームを名乗った。
「六本松」は、自宅近くの地下鉄駅名。
隣の駅が「桜坂」だから、名は「さくら」。
いい加減である。
その「六本松さくら」が、本の帯を書いたことがある。
食肉センターで解体される牛の「みいちゃん」と女の子の関わりを描いた「いのちをいただく」(西日本新聞社)。
千恵が他界した後、僕が編集に携わった本である。
「朗読を聴いて、うちのムスメが食事を残さなくなりました」
原文を読んでいた千恵の感想を帯文に使った。
2009年5月に初版を発行。
「泣ける食育絵本」として話題になり、11万部を超えるベストセラーになった。
亡くなった後も、僕が勤める会社に貢献してくれた。
今、販売されている最新版の帯は、作家小川糸さんの言葉。
千恵の帯文が使われた初版は、自宅に2冊だけ残っている。
どうして本名で書けないのか?(2007年9月6日)
どうして堂々と本名でブログが書けないのか?
これは、がんになった7年前から思っていることで、
今後も私の永遠のテーマになるだろうと思っている。
「いつか、千葉敦子さんのような文章を書いてみたい」
闘病記のブログを書き始めたのは、そんな想いを7年前から温めていたことにもあった。
彼女の生き方はとても真似できないけれど、文章の書き方は学ぶべきところがたくさんある。
本名が書けない理由は、ある。
トラウマも、ある。
仮名は、煩わしい。
スッキリしない。
本名で書けたら、どんなに楽だろうかと思う。
でも、書いた後の影響と、その後の対処方法は、正直なところわからなかったりする。
蓋を開けなきゃ、わからない。
さあ、どうする?
と、考えていても夜がふけるだけなので、
しばらくは「六本松さくら」でいこう。
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