死ぬ気で産め
お腹の赤ちゃんはどんどん大きくなる。産むか、産まないか。決断までのタイムリミットが迫る。本来ならば、幸せの絶頂期のはずなのに、僕たち夫婦は、かつて経験したことのない苦しみを味わった。
最終的には、実父の「死ぬ気で産め」の一言で出産を決意した妻。
僕は、それまでの心境を振り返った妻のブログを読み、涙が止まらなかった。
自分の命と引き換えてでも、妻と娘を守り抜こうとあらためて誓った。
母のナミダ(2008年5月13日)
直腸がんの患者さんに出会いました。まだ30歳になって間もないかわいらしい方でした。
1年半前に告知を受け、赤ちゃんを授かっていたのに、検査や治療が受けられないから、苦渋の決断で赤ちゃんをあきらめてしまったと、涙ながらに話されていました。
たまたま隣り合わせに座って話を聞いていたわたし。とても人ごととは思えなくて。かなり迷いましたが、気がついたら彼女に声をかけていました。
「つらかったですね」と。
それ以外には何も言えないし、何もできなかったですけれど。
がんの告知は、人の人生を大きく狂わせる。
周りも巻き込みながら。
夢も希望も吹き飛ばし、遠慮なしにずかずかと、入ってくる。
せっかく授かった命を、自分の命と引き換えに葬らなければならなかった彼女。
どんな想いだったことだろう。堕ろすことで、母体には傷が残る。もしかしたらもう二度と赤ちゃんを授かることはないかもしれない。その想いは、いかばかりだったろうか。
思わず、「私もがんです。がんになった後に赤ちゃんを授かり、産みました。
ムスメは今、5歳になりました」と伝えたら、気が少し楽になられたのか、少し驚かれたのか、涙をぽろぽろこぼされていました。
その涙を見て、私も涙をぽろぽろこぼしました。
私も、がんになった後に命を授かったので、実は、手放しで喜んだわけではなかった。
「産む」という決断を下すには、タイムリミットがある。再発や転移が怖くて、ぎりぎりまで、「堕ろす」ことが頭の中をぐるぐるしていた。迷いに迷った。
誰よりもこどもを待ち望んでいた旦那や、孫を抱くことを心待ちにしていた両親は、私がマイナスの決断を下そうとしていたから、悲しみに暮れていた。
その時の私は、自分の命が一番大事だったんだ。
結局、「産む」と決めた最大の理由は、旦那と周囲の支えと、主治医の「あなたと同じような病の人は、出産したくてもできない人がたくさんいるんだよ。妊娠するのだって、奇跡的。再発するかどうかなんて、誰にもわからない。するかもしれないし、しないかもしれない。妊娠は神秘だから、産んだらどうね?」の一言と、福岡で一番支えてくださったお医者さん(私の福岡のお父さん)の「産んだらどうね?大丈夫よ。孫の顔見せてー。あんたの子は可愛かろうねぇ」コールと、とどめは、実父の、「死ぬ気で産め」の一言だった。
(続く)
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