はなちゃんのみそ汁 番外篇

亡き妻のブログ「早寝早起き玄米生活」アーカイブから

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クリスマスを前に思う

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改宗のきっかけ

千恵の病気を機に、僕はカトリックに改宗した。それまで自分の宗教について深く考えたことはなく、宗教とは、ほとんど縁のない暮らしだった。

 

乳がんが発覚したときの千恵の年齢は25歳。結婚前だった。

 

彼女は長崎県大村市出身。家族全員がカトリック信者であった。手術の直前、僕たちはカトリック小倉教会(北九州市小倉北区)に行った。千恵は十字架の前で両膝をつくと、長い時間、祈った。

 

祈りを終え、立ち上がった千恵に、僕は「今、どんな気分?」と尋ねた。

彼女は「とても落ち着いたよ。付き合ってくれてありがとう」と答えてくれた。

 

今思えば、その日の出来事が、僕が改宗を決めたきっかけだったような気がする。

 

人生の時を織りなしてきた喪失と希望、願いと後悔・・・。

祈りの本当の意味はまだよく分からないが、その都度、僕は祈りに助けられてきた。

 

もうすぐ、クリスマス。

イエス・キリストに祈りを捧げる日。

今年も、大切な人たちの幸せと世の平和を願いながら、祈りに向き合おうと思う。

 

主の祈りを唱える娘(2008年12月24日)

千恵が他界して5回目のクリスマスイブ。2人になっても、にぎやかに楽しく(2012年12月24日)

 

以下は、千恵のブログ。宗教に関係なく、生きるうえで、とても大切なことが書かれているような気がするので、ここに残しておきます。

 

クリスマスイブに想っていたのは、Rieさんのことでした(2007年12月24日)

 

クリスマスイブには、教会に行くのが習慣。

祈りながら想っていたのは、先週、亡くなられたRieさんのことだった。

それと、この1年のことを思い出して、多くの人に感謝する時間。

そんなRieさんが、娘のこころちゃんのために書いた遺言を、3日前に友人がファクスしてくれました。深く感銘を受けたので、みなさんにも、ご紹介します。

 

こころへ

つねに困ったことがあったら、詩編にかえりなさい。

詩編は人生の喜び、苦しみ、悲しみ、あなたにおきる全てをこたえてくれるでしょう。

信仰のともし火を、いつもともしておきなさい。

いつも聖霊が、あなたをあたたかく包むでしょう。

聖霊の油そそぎを受けなさい。

友と聖霊の光を分かち合いなさい。

聖霊はあなたに異言のたまものを下すことがあるでしょう。

異言のたまものを謙虚に受け止め、共同体のために役立てなさい。

栄光の宮でまた再会することができます。

霊の武具を身につけて、キリストの血潮に満たされて、つよい人間になりなさい。

悲しいときは、主こそあなたの友。

わがよろこびを、かりそめの快楽やまやかしのやさしさに助けを求めてはいけない。

あなたを産んでわたしは幸せで、あなたと出会えたことがわたしの人生の目的だったと思う。

また出会える日を楽しみにしています。

 

2007年7月9日の手術(最大のがん腫瘍を大腸から切除する手術)ののち、7月9日から10日にかけての夜、集中治療室にて看護士が聞き取ったRieさんの遺言。

注:Rieさんはクリスチャンです。

 

もしかしたら私は、Rieさんの弱った姿を見るのが怖くて、病院に行かなかったのかもしれない。残されるご主人の悲しみと、1歳半の、天使のようなこころちゃんのあどけない笑顔を見るのがつらくて。

 

忙しいから行けなかったのではなく、

自分の予感みたいなものが働いたから、行かなかったのだ。

 

また1人、友を失うのが怖くて。

失うことを受け入れるのが怖くて。

笑顔が見られなくなるのが怖くて。 

 

私は、強くない。 

 

最初に亡くなった友達は、7年前に一緒に入院していたまゆみちゃん。29歳。

6歳の女の子のお母さんだった。

彼女は、明るい人だった。

初めて出会った同じ20代の患者さんだった。

しょげている私を励ましてくれた。 

がんになった後に、ご主人から見放されてもめげなかった。

ご主人から見放された後は、ちょっと、ヤケを起こしてお酒をがぶ飲みしていたけど。

 

彼女の最後にも、間に合わなかった。

「まゆみちゃんに会いに行ってあげて」と友達から電話をもらった後、病院に行ったら、「昨日、亡くなられました」と。 

 

それから、同じ病室で励ましてくれたIshidaさん。

亡くなる2週間前まで、元気に電話で笑い合ったHanadaさん。

歌うことで励ましてくださったKoさんとYuさん。 

私のことを最期まで支えてくださったKさん。

最期の最期まで、あきらめなかったなおみんさん。 

 

ひとり、またひとりと失うたびに訪れる喪失感。

慣れることは、ない。 

もしかしたらまだ、彼女らの死を受け入れられてないのかもしれない。

 

Rieさんの遺言をファクスしてくれた友人は、彼女が今月17日に亡くなったことを知らず、葬儀にも間に合わなかった私を励ましてくれた。

「千恵さんが、どのように彼女の死を受け止めるのかが想像できなかったから、伝えることができなかったのです。報告が遅くなってごめんなさい」と書いてくれました。

 

私は、強くない。

 

同じ病を抱えている人が、苦しい状況になればなるほど、知らず知らずのうちに、自分の最期と重ねてしまうのだろうか。それは、自分でもわからないけど。

 

弱っていく人に、手を差し伸べることができない私。

 

私は、強くない。 

 

 

でも、幸いなことに、私もRieさんと同じで、失った人を近くに感じ取ることができる。

思い出すことができる。

祈ることができる。

旅立つ寂しさを感じることも、 残される人の幸せを想い描くこともできる。

 

亡くなった人たちの想いを想像することができる。 

 

前へ、進まなければ。 

 

Rieさんは、不真面目な隠れキリシタンな私と違って、敬虔なカトリック信者だった。

カトリックでの最大のお祝いのひとつであるクリスマスイブのミサに、優しいご主人と天使のようなこころちゃんと3人で参加することを心から楽しみにされていたはずだ。

来年の復活祭も家族で祝うはずだった。 

その夢は、 叶うことはない。

 

私は、Rieさんの代わりに家族3人で教会で温かな時間を過ごすことができた。

ちょっとしたことで、感謝ができなくなっていたクリスマスイブの夜に想う。

Rieさんの分まで、しっかりと生きることが私の課題。

 

明日は、笑顔で感謝をする日々に戻ることができますように。 

 

 

 

 

不朽の名作です。

 

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