台所は「想像力」を養う格好の場
1996年1月、福岡県内のある中学校の男子生徒が、いじめを苦に自殺した。
当時、僕は西日本新聞久留米総局の記者で事件と司法を担当していた。
その中学校には、何度も取材に通った。
少年が亡くなった後、学校は「いじめはなかった」と発表。のちに、少年は同級生から一方的に暴力を振るわれたり、現金を脅し取られてしていたことが、明らかになった。「お父さん、お母さん、ごめんなさい。(中略)・・・いま30万円ぐらいとられているし、またお金をようきゅうされた。しかし、そのお金がないので死にます」と綴った文書も見つかった。
「いじめられる側にも原因がある」という「ゆがんだ考え方」が残っていた時代だった。
その中学校から「『命を大切にする集会』で生徒に話をしてほしい」と講演の依頼があった。学校関係者は、かつて、僕が事件を取材をしていた記者であることを知らない。僕の娘も中学時代、校内で「みそ汁が歩きよる」と指を差され、部活では全員から無視をされるという「いじめ」に遭った。
講演依頼は、偶然なのか、必然なのか。身震いした。
そして、昨日、27年ぶりに中学校の門をくぐった。
校長は事件を振り返った後、「想像してください」と生徒たちに語りかけた。
僕は講演で、亡き妻が、香川県の竹下和男先生が提唱する「弁当の日」に影響を受け、幼い娘にみそ汁の作り方を教えた、という話をした。いじめの問題には、敢えて触れなかった。
多くの生徒が、必死で涙をこらえていた。
この中学校で「弁当の日」を初めて体験した男子生徒は「お母さんは家族のために毎日、食事を用意してくれる。外で働きながら、こんな大変な仕事を。親って、すごい」と感想を語った。
みんなが想像力を働かせていた。
相手の立場に自分を置き換えて物事を考えられるようになれば、平和な社会が実現する。
いじめどころか、戦争もなくなる。
台所は「想像力を養う格好の場」と思う。
だから、しつこく言い続けたい。
「もっと広がれ! 弁当の日」
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