はなちゃんのみそ汁 番外篇

亡き妻のブログ「早寝早起き玄米生活」アーカイブから

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奇跡のような出会い

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他界した共通の親友

13日、14日は、山口県下関市の中学校3校で講演。

門司と下関をつなぐ関門大橋を渡ると、亡き親友を思い出す。

下関市立大で学んだ4年間、この地で共に暮らし、体育会で一緒に汗を流した山根伸太郎。

50代半ばの若さで逝った。

伸太郎のことを考えながら、1校目の豊北中に到着。

4年前、映画「弁当の日」の撮影時に世話になった豊澤校長が出迎えてくれた。

校舎に入ると目の前は図書室。本が並べられていた(2023年4月13日)

地域に開かれた中学校。360度、門や壁がない(2023年4月13日)

図書室では地域の人が新聞を読んでいた(2023年4月13日)

近くの土井ヶ浜海水浴場は、学生時代に伸太郎と泳いだ場所。

福徳稲荷神社は100キロ歩行の休憩地点だった。

どこに行っても伸太郎の顔が思い浮かんだ。

 

豊北中での講演を終え、車で1時間半かけて西に戻った。

2校目は、彦島中。

初対面の金子校長は、僕と同じ年齢だった。

自己紹介の後、金子校長が近況を語り始めた。

僕と校長には、驚くような関係があることを知った。

「最近、友人が次々に亡くなる。我々も、そんな年齢になりましたね」

そのうちの1人が、下関市立大で野球をしていたというのだ。

「まさか」と思って尋ねてみると、伸太郎のことだった。

金子校長と伸太郎は、高校の同級生だったのだ。

スマホに残した昔の写真を見せ合いながら、伸太郎との思い出を語り合った。

涙が止まらず、講演どころではなくなってしまった。

 

僕は一眼カメラを持参していた。

失礼を承知で、金子校長に言った。

「先生、俺たちは、いつどうなるかわからない。遺影を撮ってあげますよ」

金子校長は「ぜひ、ここで。今からお願いします」と即答してくれた。

 

伸太郎のことを語り合える友達ができた。

奇跡のような出会いだった。

 

夜は長府中の波多野校長の呼びかけで、市内の校長、教頭、栄養教諭、PTAの皆さんが懇親会を開いてくれた。第2の故郷下関は温かかった。

居酒屋「まんなおし」で懇親会。まんなおし(間直し)とは「不運を幸運に変えようとする行い」「縁起直し」という意味(2023年4月13日)

 

翌14日は、映画「弁当の日」の舞台にもなった垢田中で講演。

不登校の中学生」として出演してもらった夏紅斗の後輩たちに会いに行く。

 

 

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