他界した共通の親友
門司と下関をつなぐ関門大橋を渡ると、亡き親友を思い出す。
下関市立大で学んだ4年間、この地で共に暮らし、体育会で一緒に汗を流した山根伸太郎。
50代半ばの若さで逝った。
伸太郎のことを考えながら、1校目の豊北中に到着。
4年前、映画「弁当の日」の撮影時に世話になった豊澤校長が出迎えてくれた。
近くの土井ヶ浜海水浴場は、学生時代に伸太郎と泳いだ場所。
福徳稲荷神社は100キロ歩行の休憩地点だった。
どこに行っても伸太郎の顔が思い浮かんだ。
豊北中での講演を終え、車で1時間半かけて西に戻った。
2校目は、彦島中。
初対面の金子校長は、僕と同じ年齢だった。
自己紹介の後、金子校長が近況を語り始めた。
僕と校長には、驚くような関係があることを知った。
「最近、友人が次々に亡くなる。我々も、そんな年齢になりましたね」
そのうちの1人が、下関市立大で野球をしていたというのだ。
「まさか」と思って尋ねてみると、伸太郎のことだった。
金子校長と伸太郎は、高校の同級生だったのだ。
スマホに残した昔の写真を見せ合いながら、伸太郎との思い出を語り合った。
涙が止まらず、講演どころではなくなってしまった。
僕は一眼カメラを持参していた。
失礼を承知で、金子校長に言った。
「先生、俺たちは、いつどうなるかわからない。遺影を撮ってあげますよ」
金子校長は「ぜひ、ここで。今からお願いします」と即答してくれた。
伸太郎のことを語り合える友達ができた。
奇跡のような出会いだった。
夜は長府中の波多野校長の呼びかけで、市内の校長、教頭、栄養教諭、PTAの皆さんが懇親会を開いてくれた。第2の故郷下関は温かかった。
翌14日は、映画「弁当の日」の舞台にもなった垢田中で講演。
「不登校の中学生」として出演してもらった夏紅斗の後輩たちに会いに行く。
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