はなちゃんのみそ汁 番外篇

亡き妻のブログ「早寝早起き玄米生活」アーカイブから

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「まずは心の復興を」

旦過市場と小倉昭和館 今年の4月と8月、2度の大火に見舞われた北九州市の旦過市場。 結婚前、妻が北九州市の中学校に勤めていたため、 僕たちは、旦過市場とその周辺をよく歩いた。 鮮魚店、ぬか炊き店、精肉店、八百屋、角打ちができる酒屋・・・ 「いいの…

妻に見せたい、19歳の娘

「ああ、これが親なのか」 保育園児の娘が運動会で走っている姿を初めて見たとき、涙が出た。 横では、妻が「はなちゃーん!」と絶叫していた。 僕は、動画撮影しながら「ああ、これが親なのか」と思った。 娘は2月生まれで、他の子どもたちに比べて体が小さ…

あのとき、本当の家族になった

最後の6行で、もうじゅうぶん がんの治療費について書いている妻のブログを読んだ。 確かに家計が大変な時期もあった。 家計だけじゃなく、なんもかんも大変やった。 でもね。 君が寝たきりになっての1カ月間、 おむつを替えてあげることができて、俺は幸せ…

ちょっとでも異変を感じたら

ピンクに染まる福岡タワー 福岡市民なのに福岡タワーには滅多に行かない。 9年前、娘を連れて友人たちとサイクリングに行ったときが最後かもしれない。 10月は乳がん月間。 毎年、福岡タワーにピンクリボンのイルミネーションが灯る。 まだ、一度も見たこと…

妻はパクリの天才だった

高取保育園の「炒り玄米」 娘が通っていた高取保育園では、子どもたちのおやつの一品に「炒り玄米」があった。 「炒り玄米」とは、空炒りした玄米に天然塩をまぶしたもの。 ポリポリとした歯ごたえがあり、香ばしくて、ほどよい塩味。 食べ始めると止まらな…

娘を思い「がん検査」に向き合う

100万回生きたねこ 千恵は絵本が好きだった。 2000年7月、千恵が乳がんの手術(左乳房全摘出)をするかどうか迷っていたとき、勤めていた小学校の同僚が、絵本「100万回生きたねこ」(講談社)を病室に持ってきてくれた。 絵本「100万回生きたねこ」を読む千…

人生最後の「いのちのうた」

いいことがあるといいね〜君にも僕にも♪ 亡き妻千恵の追悼コンサート「いのちのうた」。 ロック歌手の三宅伸治さんをはじめ、親しくさせてもらっているミュージシャンたちの協力で、今年も開催が決まった。 2022年12月3日。福岡市・親不孝通りのブードゥーラ…

家族と生きる幸せ

「ありがとね、ムスメ」 娘に読んでほしい、この日の妻のブログ。 パパも同じ気持ちだよ。 2004年12月20日撮影 感慨深い日 〜1年前の私から〜(2007年9月26日) 大したことはしていないのですが、 今日は、本当に、感慨深い1日でした。 なぜなら、1年前の今…

サツマイモの正しい食べ方

犬は飼い主に似る わが家には2匹のミニチュアダックスがいた。 チョコタンの「さくら」とレッドの「アビー」。 犬の性格は、飼い主に育てられていく過程で得た体験によってつくられる傾向があるという。 飼い主が明るく、いつもニコニコと笑顔で接していると…

うれしいメールとロックな夜

始動の秋、栗の渋皮煮をつまみながら 久しぶりに、対面で語り続けた1日だった。 昼過ぎ、福岡県内の中学校で講演をした。対象は、中学2年の生徒たち。全国の小中学校で広がる食育活動「弁当の日」の取り組みを紹介しながら、妻亡き後、娘と暮らした14年間を…

天気と食は西から変わる

10年先を走る料理家 千恵は、念願かなって、ホールフードの提唱者、タカコ ナカムラさんに会えた。 本当にうれしそうだった。 導いてくれたのは、当時、書籍の編集で僕と付き合いのあった「大地といのちの会」の吉田俊道さん。千恵の生まれ故郷長崎県大村市…

「幸せ」を提供できる場所に

人生の節目に家族写真を 最高にうれしくて、楽しい1日だった。 宮崎市で「うどん茶房ふなや」を営む船ヶ山清史さんのご家族が、僕の実家の若宮写真館(福岡県宮若市福丸178-2)を遠路はるばる訪ねてくれたのだ。 udonsabou-funaya.studio.site 次女の明衣(…

続・苦しいときこそ、ご飯とみそ汁

娘の手作り「はなちゃんのみそ」 娘が仕込んだみそを商品化することにした。 「はなちゃんのみそ」。 製造・販売元は、山形県白鷹町の「すずき味噌店」。 https://suzukimisoten.com 店主の鈴木徳則さんとは、妻の千恵が生きていたときからの付き合いだ。 低…

娘が、元祖ヤングケアラー?

心に根差した「喜びの味」 昨夜、佐賀県唐津市から帰宅すると、娘が台所に立っていた。 「しばらくの間、パパと夕食が食べられないので、今夜、はなが作るね。ゆっくりしてて」 娘は次の日から、夜のアルバイトが4日連続で入っていた。 僕は、冷蔵庫から缶ビ…

誰かの希望になれるなら

妻の闘病が新聞連載に 妻千恵が名付けた「ダンディーT」とは、西日本新聞社の僕の同期であり、友人の田中耕記者。2007年10月、彼が妻の新聞連載を書いた。 妻の実名を出さず、ブログのハンドルネーム「六本松さくら」の名で。 連載タイトルは「いのちのうた…