はなちゃんのみそ汁 番外篇

亡き妻のブログ「早寝早起き玄米生活」アーカイブから

                                               仕事の依頼・問い合わせ                                      

「風の吹くまま気の向くまま」に歩みながら・・・

本日365回目の投稿 親として、大切なことを娘に伝え忘れてないか。 悔いなく子育てはできただろうか。 そんなことを考えながら、2022年3月18日、このブログをスタートした。 自分に課したテーマは「最後の子育て」。 娘に読んでもらうために、1年間、1日も休…

無神経な男

そこに信頼関係があるかどうか がん患者の出産は転移再発のリスクがあり、千恵は産むことをためらっていた。 そのとき、父親は千恵にこう言った。 「お前は死んでもよかけん、死ぬ気で産め」 一見、無神経で乱暴。相手の気持ちを考えずに言い放っているよう…

悩んでばかりの15年だったけど・・・

YouTubeに多数のコメント 福岡放送に制作してもらったドキュメンタリー番組が、YouTubeの「日テレNEWS」にアップされました。 3月15日現在、161件のコメントが寄せられており、すべてに目を通しました。 僕たち家族の歩みを、ご自分の人生と重ね合わせたり、…

懐かしい人と16年ぶりのごはん

思い出のパスタでおもてなし 僕たち夫婦が、福岡市東区御島崎の公団住宅に住んでいたころ。 愛ちゃんは、千恵と同じ英会話教室に通っていた。 カナダ・バンクーバーにホームステイ経験のある彼女は、当時から英語の発音が美しくて。 そんな理由で千恵が目を…

時を超え、娘も食の仕事を経験

料理番組に出演 2年前、娘は福岡の某テレビ局で「はなちゃんのレシピ」という料理番組に出演していた。 トークは苦手と言いながらも、一生懸命頑張った。 番組では、母親から受け継いだ天然っぷりを遺憾なく発揮。 タレントさんとの掛け合いが、面白かった。…

心がつらくなったときに

ホルモン療法の副作用 千恵が、ホルモン療法を継続しているころ、僕は、時々、会社で胸騒ぎがした。 昼休み、彼女の様子を見に自宅に戻ることがあった。 自宅はマンションの12階。 カーテンを閉め切った薄暗い部屋の中に千恵はいた。 窓際にひざを抱えて座っ…

「じゃれあい」ができる幸せ

怒鳴り散らす年配客 以前、娘がアルバイトで働いていたうどん店では、大声で怒鳴る客がいたそうだ。 冷たいぶっかけうどんをテーブルに運ぶと、 「違うじゃないか!温かいぶっかけを頼んだはずだ!」 メニューが多ければ多いほど、間違いは増える。 娘の聞き…

なんでやねん

桜を相手にノリツッコミ 2年前にもらった桜を鉢植えしたら、花が咲いたで〜 なにいうとんねん。あれは桜の切り花やで。挿し木で根が張るわけない・・・ 五部咲き(2023年3月10日)sigmafp sigma45mf2.8dgdn パウダーブルー ほんまや。 2年前、娘の同級生のお…

心が大人になった日

娘の小さな国際交流(昨日の続き) 僕が中洲で路上ライブをやっていた7日の夜、娘は、アルバイト先の「すし宗」(福岡市中央区六本松)で、異文化コミュニケーションを体験していた。翌朝、娘からスマホに送られてきたLINEのメッセージで、そのことを知った…

14年ぶりに中洲で路上ライブ

リベンジは果たせたか 今月、まだ1週間しか経ってないのに3度目の「焼酎Lab.紅乙女」。 トミーと2人で飲んだ後、中洲のネオン街をふらふらと歩き、 たどり着いた場所は「福博であい橋」。 2009年10月16日、栗原靖史とギターで路上ライブをやった場所である。…

人生最後のステージ

一期一会 〜いのちのハーモニー〜 抗がん剤の影響で顔はむくみ、声も出しにくそうだった。 でも、歌った。 声をかけてくれたのは、小学校のPTA役員の女性。 彼女も同じ病だった。 千恵は「ハナミズキ」を歌った。ピアノ演奏は大学の先輩、新貝真理さん(2008…

がんと花粉症

札幌からうれしい電話 コロナは沈静化してきたが、今度はスギ花粉で、マスクが手放せなくなった。 そんな中、札幌の友人たちがドキュメンタリー映画「弁当の日」の上映会と講演をセットで企画してくれている。 「できれば、はなちゃんと2人で来てほしい」と…

妻が実践した「台所育児」

他界後、出版社を通じて発信 妻、千恵は5歳の誕生日を迎えた娘に、みそ汁作りを任せた。 娘は「みそ汁作りは、はなの仕事」と自分に言い聞かせながら、台所に立った。 2008年2月22日、千恵はその一部始終を写真に収めた。 2008年2月22日 2008年2月22日 2008…

生まれてくれてありがとう

今後の人生は、おまけ 15年前、僕は自暴自棄になった。 心を病み、死んでもいいと思っていた。 生きていたけど、死んでいた。 だが、一杯のみそ汁が救ってくれた。 娘のおかげで、自分を取り戻すことができた。 これまでの15年と、これから先の人生はおまけ…

一瞬にして、あの頃に戻れる場所

唯一無二の屋台 定年を迎えた先輩と中洲で飲んだ。 二次会は天神の屋台。 僕の希望で「味府」に行った。 ここは、亡き妻とよく通った屋台。 餃子とラーメンがうまい屋台。 思い出すと悲しみがあふれ出すので、長い間、訪れることができなかった。 昨年5月の…