はなちゃんのみそ汁 番外篇

亡き妻のブログ「早寝早起き玄米生活」アーカイブから

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「大地のうどん」と「うどん和助」

見えない力が働いた 亡き妻との思い出の場所には、しばらく足が遠ざかっていた。 思い出すと、つらい。 涙があふれる。 それもまた、「すばらしい悲しみ」であることに気づいたのは、僕の場合、ずいぶん時間が経ってからだった。 昨春、大学生になった娘が「…

「中庸」を意識しながら玄米を炊く

マクロビオティックの思想 僕はマクロビオティックを実践しているわけではないが、千恵の影響で、その考え方は少しだけ理解している。 重要なキーワードは3つ。 身土不二 その土地で収穫された食材や旬のものを食べること。地産地消とほぼ同義語だ。 一物全…

病気を忘れるほど幸せを感じた場所

あるもので作る。できたものを食べる 毎週末、僕たち家族3人は佐賀の山奥に向かった。 目指す場所は、陶芸家川本太郎さんの自宅だった。 ここは、自然がいっぱい。空気もうまい。 太郎さんは、庭で火を起こし、僕たちを待ってくれた。 あるもので作る。でき…

自生するヨモギと抜けるまつげ

休みの日はデパ地下ぶらぶら 千恵はデパ地下が好きだった。 日曜日は、天神大丸の地下2階を歩き回っていた。 幼い娘を連れて、試食をしていた。 娘には、「いただきます」「ごちそうさま」をきちんと言わせていた(笑) 2人でもぐもぐ、もぐもぐ‥。 デパ地下…

妻の竹ざる、娘が受け継ぐ

太陽の恵み わが家には、大小の竹ざる(干しざる)がいくつもある。 闘病中の千恵が、干し野菜や梅干しを作るために使っていたのものだ。 千恵は、天気の良い日は、切った野菜を竹ざるに並べ、バルコニーに干した。 太陽の恵みで、食材の栄養価がパワーアッ…

君は、もうひとり産むつもりだったんだね

助産院がつないでくれた不思議な縁 2007年4月4日のブログ「春日助産院」の冒頭で、千恵は2人の女性を紹介している。 ひとりは沖縄の歌手、小山良子さん。 僕たち家族が始めた音楽イベント「いのちのうた」の名付け親で、歌うことを躊躇していた千恵の背中を…

完治すると信じていた

がん患者と家族の心得 「妻を助けるには、どうしたらいいでしょうか」 講演を終えた後、がん患者と暮らす家族から、こんな質問を受けることがよくある。 僕は医者ではないので治療のことは答えられない。だが、がん患者の家族として、どう接してきたかについ…

歌うことは生きること

娘の度胸は母の遺伝 昨年11月、娘と沖縄県宮古島に行った。 目的は、島のライブハウス「GOOD LUCK」で開かれたコンサート。 ここで、娘は予定してなかった出演のチャンスをいただいた。 ライブハウスの計らいで、娘は、ウルフルケイスケさんのギター演奏で即…

よく死ぬことは、よく生きることだ

何をするために生きているのか 千恵が生前、こんなことをよく話していた。 「死についてあまり考えたことがない、というのは、生きることについて真剣に考えたことがない、というのと同じこと。がんになったおかげで自分は何をするために生きているのかを考…

スポーツを不純な目で見てはいけません

ネタにされ、平和な気持ちに 千恵は時々、ブログで僕を茶化して遊んでいた。 あの頃は、恥ずかしいことを暴露されても構わなかった。 腹が立つなんてことはない。むしろ、平和な気持ちになった。 ずっと、このままでいてほしい、と願った。 真太郎(千恵の弟…

マスクマンな日々

街を歩くのも命懸け 千恵が書いたブログ「マスクマンな日々」を読んで、闘病中の彼女がどこに行くにもマスクをしていたことを思い出した。 感染症予防のためだ。 抗がん剤治療中のがん患者は免疫力が低下している。 風邪をひいたら、肺炎になって死に至るこ…

「いいとこ取り」で病を治す

心を癒やす「酵素風呂」 お彼岸に、亡き妻千恵が眠る福岡県糸島市の墓を訪れた。 墓参りの後はいつも、近くの風呂に立ち寄る。 風呂といっても普通の風呂ではない。ヒノキのおがくずに野菜や果実などが原料の70種類もの酵素を混ぜ込み、その発酵熱を利用した…

あの人に会うまで、生きる

人生7割で良し がん闘病中の千恵が実践していた主な治療は、標準治療と食事療法。 もうひとつ、治療の土台として重要視していたことがある。 「心の持ちよう」だ。 具体的には、笑うこと、ぼーっとすること。 千恵は、仲良しの友人とお茶を飲み、映画を観て…

なんかちょーだい

つながる 千恵は、たくさんの人から、たくさんの愛をいただいた。 助産師の内田美智子先生、料理家のタカコナカムラ先生は、まだ温もりの残るネックレスを寝たきりになった千恵の首にかけてくれた。 ロック歌手、三宅伸治さんからもらったものは、忌野清志郎…

妻の生き方を変えた旅館経営者の言葉

「台所から社会を変えたい」 千恵の乳がんが発症した2000年7月。 手術直前まで、僕たちは旅行や映画、コンサートなどに出かけた。 夜、眠れなくなることがないように。体がヘトヘトになるまで楽しんだ。 乳がんの不安を少しでも薄める狙いがあった。 千恵の…